全てのアウトサイダーに捧ぐ…

アウトサイダー…日本語で言うと「はずれもん」とか「やさぐれもん」、「極道」なんてのが相当するのかな

元々、ワタシは非主流ってゆうか、アンチ王道ってゆうか、世に正論と位置づけられるモノに対して、あえてツバするような不埒者…

年端もいかぬ鼻ったらしの頃から理屈っぽくて、オトナたちから「当たり前のコトなのだ」とか「こうゆうものなんだ」とか納得できる説明もされぬまま、押し付けられるあらゆる事々が大嫌いだった

それは、アンチ父親だったからかもしれない

きっとワタシが、あの男を生理的にキライだったからなのだろう

あの男こそ「ヨノナカ」とか「世間」などと言う「理不尽なモノの具現」みたいに捉えていたからなのかもしれない

あの男は、コトあるごとに「ヨノナカ」とか「世間」とか「社会」とかを引き合いにだしては、あたかも己がその主流とか正論とかの代弁者、あるいは代表者であるかのごとき激情的口調をもってワタシの在りようを非難し、侮辱し、暴力をもってそれを威伏せしめるコトを常とした

ワタシがそのコトバの真意や、論旨、論理的な解説を求めても、あの男は「理屈を言うな」だの「そうゆうものなんだ」だの「ヨノナカではそんなコトは通用しない」だの、意味不明な応答しか為さなかった

時に理屈めいたコトバをクチにするコトがあったにしても、その論理には多くの矛盾や根拠の薄弱な部分が所々に露呈しており、結局のトコロ、あの男自身もよく分かっていないくせにコドモを恫喝し暴力を以ってそれに従わせて、それを教育かなにかと勘違いしている、という点で、コドモ心にもはなはだ片腹痛い存在だった

そう言うあの男がキライだから、ワタシはあの男がその論拠とするトコロの「世の中」とか「ひとさま」とか「常識」とか「当たり前」というコトバに生理的な嫌悪を感じるのかもしれない

矢吹丈がパクられた先で精神鑑定みたいのをされた時「愛…いねむり 両親…植木等」とか答えるのとおんなじで、ワタシにとっては「あの男…嫌悪 世の中…あの男 常識…あの男」となるのだろう

「アンチあの男」であるが故に「アンチ世の中」なのだ

世の中だの世間だの常識だのってトコロに連綿と安住して憚らぬようなヤツが、論理的に納得のいくような説明を持ち得るハズないではないか

「そうゆうものなんだ」というトコロで思考を停止して、それで安心してしまっているような、牛のように愚鈍な連中にロジックを求めるコト自体が無意味なのだ

であるが故に…「アンチ世の中」であるが故に、ワタシは「はずれもん」になった

経緯こそ成り行きではあったが、なるべくして「やさぐれもん…極道」になったのだろう

よくよく考えてみれば、当然の帰結だ

生きていく上で、ワタシ自身が納得できるだけの論理的説明が必要だったからこそ、ワタシはアウトサイダーとなったのだ

誰かや何か…つまり「世の中」だの「ひとさま」とかってヤツにハジかれたからでは決してない

自分から飛び出して、自分でなったのだ

そしてそれ故に、ワタシはあの男からも、世の中ってヤツからも自由になった

自由にはなったがしかし、それ故に多くのモノも失った

「世の中」とか「ひとさま」ってヤツに迎合していられれば、人並みの幸せってのに埋もれて畳の上で往生できたのかもしれない

むかし、マンガ屋の宮下あきらが「私立極道高校」と言う作品の中でこう言ってた

「世の中、本気で生きようと思ったら、押して生きるか引いて生きるか、ふたつにひとつよ」

良い響きだ

「マジメに考えて、その考えに基づいて生きる」ってゆうコトの核心を突いている

青年だった宮下が、少年に向けて…否、世の中ってヤツに向けて伝えようと絶叫した、本気のメッセージだと、今にして痛切に実感する

<中村中:家出少女>

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