コレ↑、いま改めて見直してみると良いですねぇ
ちょうど時代は詰め込み教育の全盛期…校内暴力がはびこりだす直前の、いまだ日本の社会が駘蕩とした牧歌的風景の中にあった、その末期頃のコドモ向けドラマ
風景も懐かしけりゃ、コドモらのファッションも懐かしく、ロビンちゃんのセーラー服姿(スカート長っw)や、「父ちゃん情け無くって涙出てくらぁっ!」の名セリフ、そしてそして、当時最強のオトコノ子役・吉田友紀クン…OPのひとり舞台
どこ見ても見どころばっかりでクラクラしちゃいます☆
ワキの子役たちも、現代の平成子役みたいに色気づいてるのがちっともいなくて、これまた逆に、今となってはシュールさすら感じさせられますね
クラスメートのカワイコちゃん役のコは、大きくなってからいくつかドラマに出てましたょねぇ…誰だっけかなぁ…
あばれはっちゃくシリーズはこの後いくつか続いたケド、やっぱり吉田友紀クンを越えるカッコよさは出せませんでしたね
何より彼の精悍なカンジが、後継機には受け継がれなかったのです
話数が進むと、もうちょっと髪が伸びて、もっとカッコよくなるんだょ☆
やっぱいろいろ不便なトコもあるケド、初期型がイチバンっすょ(いぇいぇ、ホントゎぜんぜん不便なんかじゃないですゎょw)
実は彼、ワタシが小さいころ預けられてた家の、すぐ裏に住んでたあきらクンに似てるのです
あきらクンは、ワタシの初恋のヒトではないんだケド、ワタシがまだ自分の性別をよく飲み込めてなかった頃、「いつかはあきらクンのお嫁さんになるんだろうな…」って自分で勝手に思い込んでたヒトです
それだけに、彼の顔見てると、今でも妙にドキドキしたりします
特にOPの後半、諸肌ぬいで気合充填120%みたいな辺り、別にハァハァしたりはしてないんですケド、むっちゃカッコ良くないすかw?
へ? ワタシだけ? はぁ、そうですか…
しかし良い歌詞ですねぇ、この主題歌…その名も「タンゴむりすんな」w
「できもしないコト、その気もないのに無理してやっても、いつか息切れしちゃうんだぜ」って、コドモたちに教えてくれてたんだね
あの頃は気づけなかったケド、今にしてその意味を痛感するなぁ
「ホントは自分はオナノコなんじゃないかな…」とか「オナノコにはなれないのかな」っていつも思ってて、ナヨナヨしてた小学生の頃
この歌は、ちょうど小学校の高学年にさしかかる辺りに流れてたのかな
やがて第二次性徴が始まって、髪も坊主にされてしまった中学生の頃…
周囲や自分のコトが分かってきて「オトコにならなくちゃ バカにされないように強くならなくちゃ」って、自分の内のオナノコを諦めた頃…
自分を追い込んで、ムリして野卑で暴れん坊な自分を演じ、演じてるうちに少しずつ「これがホントの自分なのかな…」って、勘違いできる位にはなってた
自分なりに描いたオトコ像に近づくために、いろいろずいぶん足掻いて、でもそれでなんとか30半ばくらいまではイケちゃった
だいぶ完成の域にさしかかったかと思えたトコロだったケド、やっぱり無理して造った虚構のオトコは、肝心な時にはあまりにも脆かった
造りモノのオトコは、世界で一番大切なヒトを失うコトであまりにもあっけなく崩れ去ってしまった
後には、造りモノのオトコが封印した「オナノコになりたかった自分」だけが残った
あばれはっちゃく… 桜間長太郎が、ついにお行儀の良いコにはなれなかったように、ワタシも結局オトコにはなりきれなかった
かと言って、決してオンナにもなれなかった
オカマは結局オカマにしかなれない
無理などするべきではなかった
バカにされようが自分の素直な心の声に耳を澄まし、そしてソレに従うべきだったと今にして思う
きっともっと自分に見合った生き方をして、もっと輝けたハズの季節の中で、自分なりの恋にときめいたりできたことだろう
自分を「オンナだ」などと偽って、世界で一番大切なヒトを傷つけ哀しませてしまうコトなどせずに済んだのだろう
親にも家族にも親族にも関わった全ての人々にも、とっととワタシのコトなど諦めてもらえるコトができただろう
ドコの誰にも、失望を感じさせなくて済んだのだろう
自分のためだけでなく、関わった全ての人々のためにも、ウソをつくべきではない
無理をするべきではない
ヒトは、一切の虚飾を排した「本当の自分の姿」で勝負するべきだ
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