ドリフとしあわせ…視聴者を教育するというコトと、教育した側の退行

ドリフだョ!全員集合(赤盤)ってゆうCDをずいぶん前に手に入れた

まだ志村がいなくて、注が元気な頃のレコードをCD化したヤツなのかな

二枚組で、1枚目はいわゆる皆が良く知ってるメジャーな曲↓がいっぱい

  1. いい湯だな(ビバノン・ロック)
  2. ミヨちゃん
  3. ドリフのズンドコ節
  4. ほんとにほんとにご苦労さん
  5. 誰かさんと誰かさん

コレだけでも嬉しいでしょ?

ズンドコ節とかご苦労さんとか、いまでも身体が揺れますゎよ♪

でも、いま聴いてみると2枚目も良い味だしてるんだなぁ

二枚目は軍歌をアレンジした構成なんだケド、いかりやのおっかないが故に滑稽な上官っぷりや、仲本の意外な良い声とか、見どころ…じゃなくて聴きどころがいっぱい^^

<仲本工事:可愛いスウチャン>

調べてみたら、注って立教在学中ピアニストとギタリストで忙しくて中退しちゃってるんだって

その後30近くになって、立教の同期が羽振りの良いサラリーマンになってるのを見て、アタマにきて(「なんだバカヤロー」と言ったかどうかゎ定かでない)、二松学舎に入学、教員免許を取得

ドコだかで教員もやってたってゆう説は確証がないそうですケド、ちょっとだけ「This is a pen.」って教わってみたかったかもww

注って楽器弾けないヒトだと思ってたから、そのギャップにびっくりです

あたしにとってのドリフは、志村のいるドリフじゃなくて注のいるドリフなんだょなぁ

いかりやが先生で、注は「いかりやと同級生でずっと落第しつづけてる生徒」ってゆう設定のネタが一番スキかな♪

最近はなんでもDVD化とかしてくれるおかげで、ドリフもひょうきん族も見ごろ食べごろ笑いごろも、なんでも再見するコトができる(由利徹の「花街の母」とかゎ、まだないかも…)

でも同時に、当時おなかがよじれるくらいに笑えたハズのネタが、じつは風化に耐えられない程度の代物で、現在でも笑うに値するモノって案外少ないんだってコトに気づかされて愕然としたりもする

特にひょうきん族なんかは、その初期こそ冒険的だったり実験的なネタも相当数あるんだケド、中盤以降の笑えなさは、見ていて痛々しい程だ

笑いというのは風刺性や即時性なんかと密接に関わっていて、その当時の空気の中に棲息していないと、その可笑しみを理解したり万人に通用させることができないモノなのだというコトを痛感させられたりする

が、ドリフのネタは今でも充分に笑える

コントの先はみんなちゃんと分かっているのに、それでも充分に可笑しい

ってゆうか、お約束通りやってくれないと、見てる側がつっこめなくて困る

「うぁ、またやってるょコイツら 懲りないヤツらだなぁ…w」って、見る側に思わせ、げっぷが出そうな位までやってくれる

同時に、いかりやをはじめとするメンバーが、各自ちゃんと役割を果たすという、一種のお約束の中で繰り広げられるコントってゆうのが、古典芸能に近い産物なのだと再確認させらたりする

ケドそれは、80年代初頭から起こった「内輪うけネタ」とか「冷めた笑い」「オシャレな笑い」という、時代の潮流には真っ向から逆行していて、それ故に土曜8時というTVメディアにおけるひとつの王座を、時代の波に乗じてやってきたひょうきん族に明け渡すコトとなってしまった

ワタシ自身も、中学に上がって思春期を迎え、ひょうきん族の、ちょっとヒネった感じの笑いとか、そうゆう「マセた雰囲気の笑い」を志向した裏切りモノだった

そういう「斜に構えてネジくれた視点」からモノを見、語り、造る時期は、ヒトが成長する上で不可欠だ

幼いコドモが成長していく上でのひとつの通過儀礼として、親を客体として批判する視点を備えはじめる時期が必要なのと同じだ

ひとつ高みに上って自分が賢くなったような、製作側の安易さをさも分かっているような視点に立って、メディアの裏側を見透かしているという意識を持つコトは、初歩的な「メディアへの批判力」を培うチカラにはなるだろうから…

既存のお笑いやエンターテインメントを「なんだ、フタを開けてみりゃ、こんな程度のもんじゃないか」と小バカにしているような、「放送のウソ」を露呈させるコトから80年代的「笑い」は発生した

「タケちゃんマン」も「絵描き歌」も「ベスト10」も、既存のそういった種類の番組のパロディだった

パロディを実際に自分たちでやって見せ、その裏側やスタッフの内情も見せ、70年代までは確かに存在していたハズの「ロマンという名の虚構」を全て根底から小バカにして笑う… いわば自己批判と自虐と内輪のグチみたいなモノを素材にして80年代的「笑い」は生まれた

既存の文化を根絶やしにしてしまうほどの潮流であったコトを思い返すと、その本質は中国における文化大革命みたいなモノだったのではないか

そうしてやがて、我々はそうゆう80年代的「笑い」すら、形骸化し魅力の欠片もなくなっていく様をもリアルタイムで体験した

しかし、メディアからもたらされるコンテンツの全てを斜に構えてネジくれて見る…という視点を得てしまったコトで、かつてのロマンスを素直に飲み込んで夢に見るコトももはやできなくなった

70~80年代をまたがって生きてしまったヒトは、ある意味で不幸なヒトだ

サブカルチャーというモノの、価値の絶頂とその崩壊を身体で知っている

スターとかアイドルという「夢の具現」が絶滅してしまったのが何よりの証拠だ

「もはや神は死んだ… じゃなくて、夢は滅んだ」というコトを、身体で知ってしまった

「自分達でソレを壊してしまったのだ」というコトは、あまり自覚していない気もするケド…

さらに続くレトロブーム バブルの狂騒と崩壊 ブランド志向の過熱に端を発した一点重視主義 ケータイの普及 ネットでの速成ギークの量産 といった80年代後半からの流れに乗って、この国土の上に乗っかって暮らしている人々は、良い意味でも悪い意味でも「ホンモノ(っぽいモノ)を志向」するようになった

レトロブームでは、文革のあおりをくって「滅んでいったモノたちへの愛惜」を… 

バブルの顛末によって、ホンモノっぽいものを金にモノ言わせて身にまとうコトの「贅沢とその美味とその儚さ」を…

一点重視主義では、バブル崩壊によって全身にまとえなくなった美味を欠片でも探そうと躍起になる「浅ましさと選別力」を…

ケータイ・ネットの普及によって、かつてなら一部のギークの間で細々と命脈を保たれてきたはずのマニア的知識・眼力が、底の浅い似非ギークたちに安っぽく普及し、かつ安易に破棄されるという「(薄っぺらな)偏執的愛情の促成栽培」を…

その時々に経験し、我々は少しずつ賢くなった(ような気になっている)

そのように徐々に我々は慣らされ、徐々に我々は教育されたのだろう

そうしてようやく、メディアというモノが生み出した「ロマンという名の虚構」をも、味わって楽しむ素地は整った

娯楽を純粋に娯楽として楽しむという、顧客としてのシビアな視点に、やっと立つに至ったのだろう

この国土の上に乗っかって暮らしているヒトたちは、明らかに70年代よりも賢くなった

なったがしかし、その成長と反比例するかの様な、昨今のTVメディアが生み出すコンテンツの浮薄さはどうだ

不景気で、良質なモノが創れなくなってきているのは差っぴいたとしても、この惨憺たる状況はなんだ

見ているワタシが単に老いただけなのか、時代がコレを望んでいるのか、TVメディアの限界がコレなのか…

そうして結局、この浮薄なコンテンツに慣らされ、コレを当然のモノと受け止める世代たちから、また再びバカに戻り始めるのだろうか

「進化を重ねた先にあるのは死…」 そんな、分かったような言葉を、ある種の実感をともなって呟くのはワタシだけではないと信じる

生前、ナンシー関がこう言っていた

「失ってから初めて分かる ドリフと幸せは似ている…」

何も知らないでいられたあの頃こそが、実は最も幸福なメディアと視聴者との蜜月だったのかもしれない

知恵の木の実を食べた者の末裔ゆえの不幸だ…

オマケ↓

<注が生きてて唄ってる♪ ザ・ドリフターズ・ドリフのズンドコ節>

元歌の海軍小唄が切ないモノだけになんとも言えない悲喜劇性を帯びるんでしょうね…

<探したらあるんですねぇ、由利徹の花街の母w>

ホントはこの後、お股を洗ったりする下品なのがあるんですケド、ようつべやニコ動にはないみたい…

ざんねん~💧

コメント

  1. セブン より:

    土曜の夜 晩御飯と全員集合、確かにおきまりのギャグだったけど、それが精神安定剤のような効果があった。今の「売れない芸人」がひどい目にあっているのを売れている芸人を中心にまわりの人たちが指さして高笑いしている。それを見て視聴者も笑っている・・・そんな現代の笑いに学校とかのいじめを公共の電波にもってきただけのような笑いがとてもいやでした。
    その点、ドリフの時代はちがった。ゲバゲバ90分なんか一つの芸術だった。
    あの頃の晩御飯はうまかった・・
    (単に食べ盛りだったのかな・・)
    吉本新喜劇なんか、まだそんなベタベタなコンとの味、残してていいなぁ。
    もうその人が出てきただけどいつものギャグ、こつちが構えて見てるのに、なのに笑ってしまう・・。
    貴重だね。

  2. ロビンちゃん より:

    >セブンさま
    記事では言い足りてないんですケド、見てる側として、ワタシなどはずいぶん冷たい存在でした
    「まだこんなコトやってるの?」
    って、思春期の頃はチャンネル回す(昔はチャンネルって「回した」んですねぇw)時に、チラっとコントの一部が見えるとクチにしたものです
    それでもやってたんですょね
    いつしか人知れず放送も終わっていて、そして注が死んじゃって、ドリフもピンで仕事するようになって、初めて「あぁ、ドリフってどんなんだったっけ?」って気にしたのです
    そしてその時になって自分をかつて楽しませてくれた連中が、もはや成立不可能になってしまっているコトに気づきました
    見てくれていようが、いなかろうが、自分たちが楽しいと感じてるコトを、それでもやり続けていてくれたから、ふたたび彼らに出会えたのかもしれませんね
    「ギャグの基本は繰り返しや!」って、誰だかが言ってましたケド、まことにマトを射た言葉だと痛感させられますね
    あきられようが、うんざりされようが、愛想をつかされようが、それでもやり続ける悲喜劇性…コレって実はとっても偉大なコトなのじゃないかと思うのです

  3. 36年目の夏

    地域の救急救命センターが付近にあるせいで、毎夜、夜半過ぎのサイレンが数回は響く

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