目指すべき最強とは神技的大道芸と脱兎のごとき逃げ足、そして…

うむぅ~、ゲイ … 否、芸とはいえ、コレ↓はカコイイぞ

<2022年9月現在、動画のリンク切れちゃっててアカウントも停止されてるようです;;>

距離35mだから、野球のPitch-Catch間の倍くらい

初速200なのか、切断時の速度が200なのかも、ちょっと説明が足りてないケド、そうゆうのは差っ引いてもカコイイなぁ、この芸…

でも、二刀一対の備前長船、その一振りである乾雲丸を携えた神技的ディフェンスの志那虎のダンナなら、こんなのぜんぜん楽勝だゎよ♪

こうゆう技芸って、武人のたしなみのひとつ… みたいなモンなんだろか

それともお金に困った貧乏侍が、恥を忍んで小銭稼ぎにやって見せた大道芸に近いのかな

武道って、究めていくとビックリする様な精度と速度で身体を操作できるようになるんだょね

相手との距離数cmの位置からアゴを上空に突き上げるようなハイキック繰り出したり、ありえない角度からヘビみたいにうねって突きや蹴りが跳んできたり、紙一重のトコロで拳や貫き手を止めたり…

徒手空拳でそうなんだから、まして武器を持てば現代人が予測もできないようなアクションが可能になるのかな

でも、武芸十八般なんてゆうくらいだから、お侍の道を究めるのはきっと死ぬほど大変だったコトだろう

弓術、馬術、槍術、剣術、抜刀術、短刀術、 薙刃術、手裏剣術、水練術、十手術、棒術、捕手術、もじり術、鎖鎌術、含針術、忍術、砲術、柔術って、こんなにあるんだょ

大学の一般教養の講義みたいに代返可能だったら良いケド、実技系だからそうもいかなそうだし…w

「もじり術ってどんなんだろ?」って思って調べてみたら「長柄の先に多くの鉄叉を上下につけた道具で、江戸時代に罪人を捕える武器」なんだって…↓の④みたいなモノかなぁ

含み針術なんて、もはやジャギサマ↓か白土三平センセイ or 横山光輝センセイの世界ですゎ

影丸とかワタリとか、もっかい読みてぇなぁ

江戸期は戦乱らしい戦乱もなかったから、実戦力よりも剣理の究明とか流派の隆盛とかブランド化が主眼になりがちだったという

北辰一刀流なんかは、開祖の千葉周作が学者肌の実践家だったから、精神主義とか神秘主義みたいのはかなり排されてたそうだケド…

他流で10年かかるのが千葉なら5年で身に付くって評判だったんだって

それくらい教材が厳選されて、なおかつ教授法が洗練されてたってゆうコトなんだろうね

教育学とかがその頃あれば、きっとそうゆうのに向いた資質のヒトだったんじゃないかな、千葉周作ってヒト…

真剣を実際に手にしたヒトは、その重さと冷徹なまでの鋭利さと絶妙な曲線美とに惹き込まれたコトがあるハズ…

あの、冷たく美しく鋭利な重量物を、紙一重の精度と恐るべき神速で繰り出しあって、互いの生命を奪い合うのだ

切っ先が、寸瞬でも先に相手に達するコト… それが生死の境を分けるが故に、何よりも太刀行きの速さを重んじなければならない

と同時に、迷ってしまえばその遅れが己の生命を落とす因ともなるが故に、やり合う以上は迷ってはいけない

迷わぬためには、常に即座に決断する訓練に励まねばならず、そのためには一切の私情を滅殺できねばならない

でも、何ら一切の迷いを生じずに、己のみを生かして他者の生命を奪うコトに専従できるのは、もはや達観した哲人(否、狂人だな)か、あるいは迷いなどはじめから持たぬムシの様な者だけなのではないか…

200km/hで飛来するのが矢ではなくて、生身の肉体を有し家族・友人に囲まれながら育ってきた「ヒト」であったとしても、彼は迷いなく斬れるのだろうか

直径6mmのBB弾の如くに斬撃できるだろうか

生命存続の危機に晒され、恐怖に駆られたヒトは、容易にヒトとしての理性をかなぐり捨てる

ハイチの震災で、人々が他人の物資を奪いあう様はまさしくソレだ

そうゆう状況に陥らなければ、ヒトはヒトを斬る覚悟に至れないのだろうか

あるいは過酷な修練を積むコトで、たとえ何事もない平時においてでさえも、瞬時に冷静なる狂気を帯びてその覚悟に至れるようになるのだろうか

「誰にも負けない強さを手に入れたい」… オトコのコの多くは、一度はそう考えるモノだ

己だけではなく、己の大切な存在をも守れるモノとなれるコトを、多くの少年たちは夢に見、そして目論む

ただ、実際に強さを志すモノもいるが、思うだけで終わっちゃうダメ男もいる(目指した途中でオカマになっちゃうのもw)

が、目指す道の頂点とはつまり「己のみを生かし、相対するモノの生命を躊躇なく奪う能力」を手にするコトに他ならない

どんなに可愛らしい絵で描こうが、悟空が目指しているのはそうゆうモノだ

そして、殺した相手は決して甦ったりはしないし、甦りを祈念するべき神龍も界王サマも存在しない

生命というモノに対してムシの様に無自覚であるか、あるいは、何らかの手段でその身に狂気を帯びるコトによって自他の生命を奪い合う覚悟に至る… というのが目指すべき道の頂点であるとしたら、これは果たして、あえて目指すべき道なのかどうか…

殺したくはない… しかし万一の時に備えて、何者にも負けぬ絶対無比の力は欲しい

もし、この二律背反を矛盾なく明解に説明した上で、究めるべき頂点を目指すとしたら、こうではないか

つまり、『殺すというコトを主眼に置かぬ「芸」として、その技を究めるコト』だ

様々な厳しい鍛錬と過酷な精神修行の結果、飛来する矢やBB弾、さやえんどうや鉄板を斬る能力を身につける… という、実にバカバカしく無価値なコトに血道をあげるのだ

もしかしたらコレは、「強さ」というモノを最終的に小バカにし揶揄する唯一の方策なのかも知れぬ

恐るべき殺傷技能を有してはいるが、生物には決して使えない…

強さや武力、兵器といったモノが最終的に目指すべき頂点とは、つまるところそうゆうモノなのではなかろうか

今の自衛隊の在りように少々似ていなくもなくて、ちょっとばかり哀切な苦笑がこみ上げるケド…

血気盛んなハネっかえりだった頃の若き車田正美は、自著「リングにかけろ」13巻折り返しでこんな風に語っていた

「かつて、男たちは暴力によって己の地位を築き上げてきた 現代でも暴力は、絶大な力を持っている 法律によって人は守られているようにみえるが、それは錯覚ともとれそうだ 突発的な暴力に対して、無力に等しいのが現実だから… 男が他の暴力から自分を含めた愛する者を守ろうとした時、本当に必要なものは、襲いかかる暴力をはねかえす力強い意思と行動力だと思う」

はねかえす意思は、修練の結果手に入れられるかもしれない

が、はねかえす行動力とは… 暴力であってはならないのだろう

暴力を押し退けて、とりあえず「その場を脱出する能力」、そして時間をおいて感情を冷却した後、対立軸をあえて斜めから俯瞰して「調整する能力」なのかな、つまり政治力w

元オトコとしては、ちょっと釈然としないでもないケド、暴凶覇者・羅王でも侵攻してこない限りは、コレがいちばん現実的な強さの求め方なのかも知れない

ハイチの略奪みたいのに見舞われたら… とりあえず逃げましょう

誇り高く迎え撃っても、死んじゃソレでおしまい… 「死ねば何事も無! どんな死も汚れたヤセ犬の死と変わらぬ!!」と、拳王サマも実弟のトキに向けておっしゃっておられます

われわれは、マンガの中ではなくて、現実の中で生きているのですから…

<山口貴由:シグルイ>

コメント

  1. ごみはしね より:

    うざいごみはしね

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