ヒトとキツネの異類婚姻譚…マージナルな事々など

<谷山浩子:本日は雪天なり>

前記事を書いててキツネを調べてたら、こんなの↓を見つけた

大阪府の松原市には、戦後しばらくの間まで人に混じって、化けた狐たちが生計を立てていたという伝承が残っている。 彼らは人々と良好な交流関係を保っていただけでなく、姓と名を持ち、住民として住民票が交付されていた。(@Wikipedia)

「戦後しばらくまで…」ってトコに、なんとも言えないロマンスを感じる

なんて言うんだろ、虚構と現実とが渾然一体となってて、その境界線が判然としない状態

そういうモノの存在は、戸籍だの国籍だの氏素性だのというモノに完全に絡め取られ、ソコから逸脱するコトは絶対不可避のような、閉塞感いっぱいの現代社会に穿たれた「風穴」っていうカンジでステキだ

太古より昭和30年代後期(ほんの半世紀前だ)まで、この日本には戸籍を持たぬまま山々を流浪をし、独自の文字・文化を有する漂泊民・サンカが確かに存在していたが、それに通ずるロマンスだ

「隔り世(かくりよ)」とか「隠国(こもりく)」と呼称された世界… またあるいは、宮澤が「イーハトヴ」と呼称した異界とは、何も空想や御伽噺の中において想定された仮想空間のコトだけではなく、「現世の辺縁」… 橋を渡った川の向こうや、平地の先に在る山並みの、暗く幾重にも折り重なった襞のひとつひとつに実在するモノ

「この国に浄土思想が輸入される以前の異界… 隠国とは、『地下』という垂直方向ではなく、『彼方』とか『山奥』という水平方向に存在するモノだった」という主旨のコトをかつて中上健次は語ったが、それはつまり、日常の延長線上に異界は存在するというコト

神武以来、紀州が都人から隠国とも称された由縁はそれ故だ

現世とそれら異界との境を隔てるのが川

その境を護るのが、川に架けられた橋の護持者「橋姫」であり、川を渡った先の異界に棲む異能の者が「やまわろ」や「天狗」、河川に棲む異能の者は「河童」となる

<谷山浩子:やまわろ>

原始山岳信仰や修験道、熊野信仰、大陸より流入した産鉄採掘技能集団の流浪伝播の系譜、近代までの重要な物流交通手段だった河川水運などというモノは、上記の事柄との関わりが非常に濃厚で、ワタシの好物の最たるものたちだ

こういった俗世と交わらぬ「まつろわぬ者」どもの周辺に、俗世からはじき出されてしまった逃散民や犯罪者、遊芸者、傀儡子、白拍子などといった「住民台帳に記載されえぬ者ども」が居場所を求めて徐々に流入し、次第に混淆し始める

日雇い労働者や異国からの流入民、犯罪者やワケありの人々が逃げ込む半ばスラム化した現代日本の特定地域などを想起すれば、「異界」とは何も空想や大昔の御伽噺などではなく、ワタシたちが営むごく普通の日常の「辺縁」に、当たり前のように存在しているモノだと言える

まして、宗教や加持祈祷が現代における科学や医療や哲学の役割を担い、台帳やデータなどによってヒトというモノの存在を掌握されきっていなかった昔のコト

ケモノの様に山野を跋渉する異能や、妖しげな魔性・呪力といったモノに説得力を持たせ伝説化させる上で、こういった異界は今以上に好都合な領域であったコトだろう

この天地のドコかには、自分自身を他人に規定されない場所が確かに存在している… というコトを夢想する心境と言うのは明らかな現実逃避ではあるが、しかしながら「そういう場所がドコかに確かに存在していてくれる」という安心感によって、かろうじて精神の平衡を保てたりする

「もしかしたら、自分の在るべき世界は今いる此処ではなくて其処なのではないか…」

「否、あるいはもしかしたら、自分とは本来、其処からやって来た存在なのではないか…」

こういった心境を「来歴否認」と呼んだりするが、日本民俗学に大きく寄与した柳田や折口あたりにその傾向が顕著だってトコなども、なんというか非常に象徴的だ

柳田に至っては、幼少期の自分を振り返って「神隠しに遭いやすき気質」なんて自己分析してたりする

そういう心境の延長線上に在るモノとして、現実と虚構との境界が不分明なこのテの都市伝説の存在は、まことに心地良い

<↑おじさんがいじってるのはDSなんかじゃないぞ>

しかし、およし狐のお噺なんか、身につまされるなぁ

恋を謳歌した数ヶ月の後、どうして婚礼の前夜、死に至るほどに憔悴してしまったのか…

このワタシなら、およしの真意に共感できるような気がする

ヒトとキツネの異類婚姻…

「キツネ」は土蜘蛛、蛇などと同様、大和朝廷側から見た被差別民に対する呼称であり、朝廷の支配及ばぬ土着勢力…「まつろわぬ者ども」に対する蔑称でもあったから、異類婚姻とは、それらの人々との婚姻を意味する

女が身元を偽って(化けて)婚姻したものの里が暴かれ、(あるいは子の将来を案じて)消えてしまうという哀切な物語

日ノ本屈指の陰陽師、安倍晴明の母は白狐「葛葉」だった

葛の葉の「葛(くず)」とは「国巣(くず)」のコトであり、転じて「九頭(くず)」にも通じる

「国巣」とは、大和に服さぬまつろわぬ土着豪族・土蜘蛛ども、その本拠・葛城(かつらぎ)地方の「葛」に端を発する

とすれば「葛の葉」とは「国巣の端」… つまり「名も無き国巣人の端くれ」程度の意味か…

さかのぼって古墳時代、朝廷に反逆した北九州の土着豪族・筑紫国造磐井(ちくしのくにもみやつこいわい)の息子の名は「葛子」だケド、さすがにコレは係わり薄いかな

更に神代にまで遡れば、九頭竜(くずりゅう)とは多頭の竜蛇…八岐大蛇にも通じ、いくつもの水源を集めて奔る暴れ川の象徴でもあり(水源のひとつひとつを蛇の頭に見立てている)、同時にその地方に蟠踞する土着勢力の呼称

八岐大蛇征伐とは、暴れ川を治水土木するコトによって鎮める行為であると同時に、その地域の土着勢力の征討、および皇民化政策の意味でもあった

「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」とは、正体の露見した葛の葉が泣く泣く夫子のもとを去る際に書き残していった歌…

鼻ったらしの頃、寝物語にこの歌をばあちゃんから聞いて、今でもずっと覚えてたりする

学はなかったケド聡明だったばあちゃんは、もうなんにも分からなくなっちゃったそうだケド、どうしてあの御伽噺を寝物語にワタシに話してくれたんだろう

正体が露見して、愛する者と別れねばならない宿業を、まさか幼いワタシの内に診て取った…なぁんてワケはないかな、さすがにww

あらあら、なんだか最初のテーマからは大きく逸脱しちゃったゎねw

ま、いっか、いつものコトだし…

<谷山浩子:くま紳士の身の上話>

コメント

  1. ビバ☆メヒコ より:

     職について数年後、屋久島に近江の人と一緒に遊びに行った時、街中で全裸で暮らしているおじさんがいた。真っ黒に全身日焼けしているために違和感は皆無だった。タクシーの運転手さんにわざわざお願いして連れて行ってもらった。衣服を着用した人々と普通に会話をする全裸のおじさん。社会というものを深く考えさせられた。
     境涯を捨て、旅に死した古人は多い。あのおじさんの生き方は、一般社会で、ある意味境涯を捨てている姿に私には映った。
     出雲を追放された神々が妖怪となって日本海側に住みついたという話は、柳田の妖怪談義に詳しいが、最近はとんとそう言うことを考えなくなってしまってるなぁ。子育てと、バラエティー番組見て笑って寝るだけだわ。貴様のブログは、整然としていない分、刺激的だ。読むたびに、日々の怠惰な生活を恥じ入ってしまう。

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