こいのぼり(2nd blog 「蒼天の残月…」より転載)

さてさて、G.W.も終わっちゃいましたね

すでに活動を休止している2nd blog「蒼天の残月」に、ほぼ1年前に載せた記事があるのですケド、あんまり陽の目を見ないまま埋もれさせておくのも可哀相ですし、オンタイムな話題なので、ココに改めて転載しておきますね

季節は五月、G.W.も真っ只中ですね(ぷー子のワタシは一年以上ずーっと連休中ですケド…)

G.W.最後の祝日は子供の日… 端午の節句です

ワタシにはすっかり関係のなくなった(年齢的にも性別的にも)イベントですケド、この季節の清々しい蒼空と目に痛いほどの若葉の碧は、沈んでいじけたココロにもいくぶんかの生気を与えてくれます

今日は二週に一度のホル注入の日でした

気分転換の意味も兼ねて、ドライブがてら大宮あたりまで出張るんですけど、鎌倉の御世以来、関八州の胃袋を永く支え続けた田畑の緑を横目に見ながらの小旅行は、ナカナカに心地良いものです

田畑の近くには農家の家並みが散在します

家々の屋根の上、澄み渡る蒼空に大小さまざまなこいのぼりたちが泳いでいます

こいのぼりといえば、ワタシたちはコドモのころ、唄を歌いましたよね

♪やねよ~り た~か~い こいの~ぼ~り~♪
が、今でも歌われる童謡らしいですけど、ワタシはもいっこ、別のヤツがスキでした

文部省唱歌:「鯉のぼり」
1 甍(いらか)の波と 雲の波
  重なる波の 中空(なかぞら)を
  橘(たちばな)かおる 朝風に
  高く泳ぐや 鯉のぼり


2 開ける広き 其(そ)の口に
  舟をも呑(の)まん 様(さま)見えて
  ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には
  物に動ぜぬ 姿あり


3 百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
  忽(たちま)ち龍に なりぬべき
  わが身に似よや 男子(おのこご)と
  空に躍(おど)るや 鯉のぼり

この唄、作詞者不明らしいんですケド良い詩でしょう?

詩の意味なんか解らずに口ずさんでいたハナったらしの頃から、こいのぼりが悠然と空にはためいているカンジがとてもスキでした

詩の内容と併せて、二拍子(いわゆるマーチですね)で作曲されてるトコから考えると、明治期の「国民皆兵」という方針に基づいた「おとこのこの兵隊さん化」政策の一環でもあるんでしょうけど…

でもでも、そういうオトナの都合とか時代的な背景とかは抜きにして、純粋に唄として鑑賞した時に感じる一種の「清々しさ」や「願い」みたいのって、やっぱり伝わってきますよね

わが子に「子よ、かく在れかし」と願う、親の祈りみたいな、そんな唄です

旗とか幟(のぼり)とは目印です

目指すべき山の頂を示す目印です

蒼天を指差し、「子よ、あのようであれ」と目印を示す、そうゆう目印がこいのぼりです

旗は、目印であるだけに抽象的でなければなりません

学力とか経済力とか才能とか、そうゆうオトナ側の不純な望みの目印ではダメなのです

親として子に願うただ一点…「健やかに悠々と世にあれ」と、目指すべき旗印は示してくれているのでしょう

そういう目印が、大宮への道々、そこかしこに見て取れます

家々の屋根の上に、親の祈りがはためいています

庄屋風の家(って、いまは平成で21世紀の世なんだケド…)には大きくて色鮮やかなのがたくさん泳いでます

中くらいの家々では財力に応じてそれぞれに

「やっぱり大きくてたくさんのこいのぼりなんかを揚げてるのには、オトナ側の見栄もいっぱいつまってるんだろうなぁ…」などと考えながら黄色の雌豹を走らせてると…

小さな真鯉とそれより少し小さな緋鯉の二尾を高々と掲げてる、小さな借家風のおうちがありました

周りのおうちのこいのぼりは大小さまざまなれど、それなりに数は揃えてあって、明らかにそのおうちのは見劣りしちゃうのです

でも、それなのに、そんなオトナ側の思惑などちっとも意に介さない様に、たった二尾の小さなこいのぼり、薫風に舞って元気に泳いでました

ソコのうちの子、もしかしたら自分のうちのが小さくて二尾しかいないのを、悔しがったり恥ずかしがったりするかもしれない

親だって、自分のうちのが周囲のと比べて明らかに見劣りするのは承知してるハズ

でも、それでも、そんな思惑など敢えてにこやかに無視しているかのように、そして、その二尾を誇示するかのように高々と蒼空に掲げてるんです

「清々しいなぁ・・・」と、嘆声がでました

あれこそが親の祈りの在りようなんじゃないのかな、と思いました

至純な、美しい、祈りの原点を見たような、そんな気持ちになりました

コドモには、まだそういった祈りの真意が理解できなくても、いつかその子が長じた時、伝わっているといいなぁ

ワタシも幼いころ、借家住まいの分際には不相応な数のこいのぼりを揚げてもらった記憶があります

あの時、父母は何を祈ったのでしょう

ちち・ははの祈りに副えなかったであろう今の自分が、ひどく卑小なもののように感じられます

いまの自分の在りようがホントに残念で、ホントに情けなく思えます

普通のおとこのこか、普通のおんなのこだったらなぁ…

<浜田省吾:Theme of Father’s son>

コメント

  1. ビハメヒ より:

    息子が保育園で習ってきたのは、屋根よりの方でしたよ。しかも、屋根より固い鯉のぼりるんるんと誤って歌うのです。
    どんな鯉のぼりや!

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