相方は、家族というモノをことのほか大切に想っていた
伴侶であったワタシと共に築いた「家庭」というモノを、この上もなく貴重な存在だと認識していた
ソレは、「家庭」とか「家族」というモノに対して、何らかの欠落感を抱いて育ってきたコトの、その反動だったのかもしれない
その、二人だけだったワタシたち夫婦の庵に、14年前のある日、ちいさな生命がやってきた
ドコかの誰かに廃棄された、この世のなにものとも無縁な、とても孤独な生命だった
ほんの偶然、そのコドモはワタシたち二人の下にやってきて、その日からワタシたちは、「三人家族」になった
更にそれから下るコト1年、これもまたほんの偶然に、ワタシたち三人の下に新しい小さな生命がやってきた
雪の降った朝、立ち寄った店先にうずくまって行くアテを失くしていた迷子だった
その日から、ワタシたちは「四人家族」になった
おにいさんは妹に優しかった
妹が甘えて寄り添って来れば、いつまでもぺろぺろ舐めてやって慈しんだ
妹が安心して眠りに落ちると、ギョウザみたいにぴったりくっついて、いつも一緒に添い寝した
キャットフードもネコじゃらしも、横取りされたって妹のワガママには一向に甘かった
ただ、葉っぱとプリンだけは誰にも譲らなかった
妹は活発でおてんばだった
そして、いつもおなかを空かした食いしん坊だった
ワガママのクセに甘ったれ…
気が小さいのをひた隠しに強がっているツンデレを絵に描いたような猫娘で、自分を慈しんでくれる存在がすぐ身近にあって初めて、伸び伸びとおなかを見せて眠れるような、そんな女の子だった
まったく血の繋がらない、個別の、寂しい存在たちが寄り集まっただけのこの小集団を「家族」と呼称し、他人にもそう吹聴するコトに対して、ワタシたちはなんらの憚る気持ちも持たなかった
それぞれに孤独な、四つの生命が寄り集まり、ただキズを舐めあっているだけだと嗤われようが、何ら頓着するコトはなかった
相方は、この不思議な「寄り集まり」をことのほか愛し、そしてはなはだ慈しんだ
ワタシも、その想いは同様だった
しかし当時のワタシは、相方のそういう想いの「深刻さ」に対して鈍感…あるいは無頓着すぎたのだと、今にして思う
もっと、相方の哀切なほどの心情に対して誠実に向き合い、想いを馳せるべきだったのだと、今にして悔恨する
もっと優しく、相手の心情を想い遣れれば良かった… 心から、そう懺悔する
相方がそれほど大切に想っていた「家族」という小集団を、破綻に追いやってしまったのは他ならぬワタシ自身の身勝手だった
「家庭」とか「家族」とかいうモノを手に入れておきながら、それでも已むに已まれずオカマに堕する道をワタシが選んだ時、相方の中の何かが、絶望的なほどの音を立てて壊れてしまったに違いない
否、「壊れた」のではなく、ワタシが「壊した」のだ
あれ程に慈しんだ「家族」を置いて、相方はこの庵を出て行った
ワタシの知らぬ誰かの下へ、愛した「家族」を一顧だにするコトもなく奔った
相方がソコへ向かう際、相方を駅まで送らざるを得なかったのは、斯く言うワタシ自身だった
ソレは、相方が深く深く愛し慈しんだ「家族」というモノを瓦解させてしまったワタシへの、憎悪と復讐の発露だったのだろう
相方のその狂気を、誰とて責めだてするコトなどできるモノではないし、仮に責めだてする者がいたとすれば、その者をワタシは決して赦さない
ワタシたち家族は、2006年のあの夏、砕けて飛散したのだ
ただ、ワタシたち二人の下にやって来てくれた小さなふたつの生命は、それでもまだ健気に、そしてあまりにも無垢に、ワタシたち四人が住んだ庵でワタシと相方の帰りを待ち続けた
あの時、あの無垢なる子たちがいてくれたから、ワタシたちは今でもこの庵に、のうのうと生き永らえていられるのだと、痛切に思う
破綻し、砕け散った家族を「再生」したのではない
家族を「新生」する… ワタシと相方にとって、あの子たちの存在は、その根拠として充分すぎるほどに愛おしく稀有で、貴重なモノだった
そして、新生を期してから2年の時間が過ぎた6月7日、ようやく家族が手を取り合って新しい一歩を踏み出し始めた矢先、あの子はあまりにも儚く逝った
何らの罪をも冒していない無垢な存在は、まもなく11歳の誕生日を迎えようかという梅雨の朝、苦しい闘病の果て、病に生命を奪われて逝ってしまった
不思議な「寄り集まり」であったワタシたち「四人家族」は、あの日以来、永遠に欠けてしまった
もう二度と、ワタシたち「家族」が四人揃うコトはない
遺された妹は、おにいさんの年を追い越して、ニンゲンならば中学2年生の年になった
おにいさんが逝ってしまって以来、妹はドコか不安げだ
ワタシや相方が仕事で庵を留守にする間、おにいさんだけが彼女の頼りだったのだろう
いつもおにいさんにべったりの甘えっ子だったから、ことのほか不安が助長されるのだろう
ワタシや相方の姿が見えなくなると、途端に落ち着かなくなって甘えた鳴き声でワタシたちを呼び寄せる
抱き上げてやると、普段は抱っこがキライなクセに、いつまでも腕から降りようとしない
みな、それぞれに欠落感を抱えながら、あの日から今日をかろうじて生き永らえている
今夜、相方は葉っぱとプリンを買って、少し早めに仕事から帰って来る
玄関のドアが開く時、逝ってしまったあの子の、少し浮かれた足音がドコからかきっと、遺されたワタシたち「家族」の耳に聞こえてくるだろう
コメント
昨年は、阪神淡路大震災の月に生まれた実家の犬が5月に死んで、同年に生まれた手乗りの小桜インコも11月に死んで、一緒に生きてきた戦友に次々先立たれた気持ちになって、良い事もたくさんあったが、辛い事も多い年だった。
家族が欠落する辛さって、言いようがないよな。息子が出来て、初めてそういうチームとしての気持ちの様なものを感じるようになった。