マリンスノー

陽の光も届かぬほど深い海底に、永い永い時間をかけてゆっくりと、そしてうっすらと、ごくごく少しずつ降り積もってゆく白い堆積物… それをマリンスノーと呼ぶのだと教えてくれたのは、ハナったらしの頃に視たアニメーションだった

<マリンスノーの伝説>

本来であれば磊々たる奇岩怪岩がそこかしこに露出し、峻険苛烈な様相を示すハズの海底面に、悠久の時をかけて極薄のヴェールの様にソレは堆積し続け、やがて鋭く抉った傷痕の如き無惨な海底の地殻面を覆い隠して平滑化してゆく

地震や断層などの急激な地殻変動によって海底面が剥き出しになると、堆積物に覆い隠されていた本来の荒々しい様相が顕になって、そのあまりの峻烈さにあらためて驚かされたりする

そういう映像を目にした時、傷痕は決してなくなるコトなく厳然とソコに在り続けており、永い時間をかけて覆い隠されていただけなのだというコトに、あらためて気付かされたりする

あの子がワタシたちのもとを去って、今日で四年の月日が過ぎたのだという

これまでの日めくり暦を一枚一枚繰りながら示されて、誰かにそう言われれば「あぁ なるほど、確かにそうである…」ような気もする

しかし一方で、たとえ他人サマによって左様にご丁寧な解説を施されたとしても、「否々、けっしてそんなハズはないぞ…」というような、根拠も定かならぬ自信があったりもする

時の経過を肉感しずらい生活に埋没し、ひきこもりの様に日々を無為のまま過ごしているから、そういった矛盾しあう二つの感覚を覚えるコト殊更なのかもしれない

朝早く起きてシャワーを浴び、髪をなかばまで乾かしたらイソイソと出勤して日々の生業に勤しみ、夜半近くになってようやく帰宅、シャワーも夕食もおぼつかぬまま寝床に倒れ込むというような、「カタギなヒトビトと共に日常を送る」というコトから永く隔たってしまっているが故… なのかもしれない

ソレはつまり、「他人の時計の中で生きる」というコトから永く隔たってしまったコトによる、一種のウラシマ効果の副次的作用だ(本来のウラシマ効果は「運動している物体の経過時間は、静止している物体の経過時間に比べて相対的に遅くなる」コトだがw)

そういう隠遁者に対して、過ぎ去ってしまった時間の「客観的な量」というモノを具体的に示すという行為は、実はさほどの意味を持たない

昨日と同じ今日が訪れ、今日と同じ明日が訪れ、明日と同じ明後日が訪れるという、「閉じた時間軸」の中で生きる者にとって、過去も現在も未来も、どれも大きな差異を持たないからだ

リップ・ヴァン・ウィンクルにとって、昨日のコトは今日のコトと同義であり、今日のコトは明日のコトと同義だ

だからあの子が逝ったのは、ワタシにとっては四年前の過去のコトではあるけれども今日現在のコトでもあり、おそらくきっと明日以降のコトでも在り続けるだろう

左様なワケで、昨日も今日も明日もワタシにとってはドレもほぼ同じ… ではあるのだが、四年前の痛哭と同様に、現在も身を引き裂かれたかのような悲憤の涙に暮れているか… といえば、実はそうではない

あの子との愛別離苦は、言い換えるなら「痛み」そのものだ

あの時、ワタシは痛かった

いま現在、ワタシは、あの時ほどに痛くはない

そのような心境の変質を、卑近なコトバでは痛みを「忘れた」と呼ぶだろう

あるいは痛覚が「麻痺した」と呼ぶかもしれない

そのように診断・分類してくれて一向に問題はないが、ワタシは少し違うような気がしている

ココロの痛みは、実はなんら変質するコトなく脳内の深海底に刻まれたままなのではないか?

時の経過とともに、その「痛み=傷痕」の上にマリンスノーがうっすらと堆積する

脳内の記憶野に時々刻々と降り積もるマリンスノーとは、日々の生活の中で経験する大小の記憶片だ

昨日食べた昼食のオカズの塩味や、さっき視たワイドショーの猥雑さ、先月の通院で医師と話した取るに足らない世間話などといった、「記憶しておこう」とも思わないような、それぞれが一切の関連性を持たない短期的記憶の断片群…

それらは「睡眠」という生理作用の中でデフラグされ、重要性の少ないモノから記憶の深層にアーカイブとして保管されてゆくのだという

たったいま体験している「喜怒哀楽を伴った生々しい記憶」さえも、時の経過とともにアーカイブ化され、やがていつか記憶の深層に堆積してゆくのを免れない

つまり、どんな記憶もアーカイブ化されて記憶の地層に没するコトを免れない

しかし大事なのは、物理的な脳の欠損でも起こらない限り、それらは決して消去されないというコトだ

「思い出せない」というだけであって、記憶片は厳然として脳の深層に堆積している

そして、何らかのきっかけがあれば、記憶片は生々しい感覚を伴って脳内に再現されるのだ… あたかも地震や断層の発生によって、海底の地殻が剥き出しになるように

名前も顔も思い出せないような… これまでの自分の人間形成に何らの意味すら持たなかったハズの同級生と、数十年前にほんの一言二言かわした程度のどうでも良い会話の場面を、ふとした夢で思い出したりするのはそのせいだ

年端もゆかぬ幼児だった頃に味わった喪失感や孤独感と似た感覚をふとしたはずみで刺激され、いい年になったにもかかわらず湧き起こる怒りや哀しみの感情を制御できなくなるのも同様だ

「忘れる」というのが記憶を「消失」してしまうコトだとするなら、ヒトは忘れるコトのできない生物だろう(ワレワレ日本人は、「なかば意図的に」大切なコトすらも「覚えておこうとしない」悲喜劇的な人種でもあるが…)

いま、ワタシは四年前のあの時のようには痛くない

それはきっと、これまで過ぎて行った時間の中で、ワタシの脳の記憶野にようやくうっすらと降り積もったマリンスノーのせいだ

隠遁者として、周囲から隔絶した時間軸の中に漫然と生きるが故に、傷痕に降り積もった量はごくごくわずかなものではあるが…

他人の時計の中に生き、友や家族といった愛すべき存在に囲まれ、日々の生業に勤しむという充実した時間を過ごしていれば、今よりももっともっと多くのマリンスノーが降り積もり、その分だけ厚く傷痕を覆い隠してくれたコトだろう

今よりももう少しは、感じる痛みも緩和されていたコトだろう… それが必ずしも、覆い隠されてゆく傷痕に対して真っ向から向き合ったコトだとは思わないが

少なくともワタシは、あの子を亡くした痛みから目を逸らさず、逃げもしなかった

否、置かれた状況がワタシにそれをさせてはくれなかった

それだけは確かなコトだ

ようやく、どうにかココまで来たよ さすけくん

でも、「キミはもうワタシたちの傍にはいない」という欠落感だけは、どれほどマリンスノーが降り積もろうと、如何ともし難いみたいだよ

ソコだけは、あたかも底なしの海溝の様に、けっして平らにはならないんだね

<中島みゆき:りばいばる>

コメント

  1. フライディ より:

    せめて厚く柔らかく温かいマリンスノーになってくれることを祈ります。

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