それすら危ういから、大切なヒトが見えていれば上出来

ココにときどきコメントを残してくれる千葉っぷ氏から、facebookを通じて連絡があった

2年前に参加した当初、facebookにはイマイチ面白味を感じられなくて、ずいぶん放置したままだったのだケド、久しぶりに自分のページを訪れてみると、いくぶん表示の方式があらたまっていたり、他のSNSやコミュニケーションツールとの連携が取れるようになったせいか、以前ほど無味乾燥なプロフィールの羅列ではなくなっていた

ただ、ググルやツイッタやつべのアカともリンクしてるせいで、個人の所属とか来歴とか嗜好とかその他諸々の情報が、いいように収集されてしまってるのがどうにも癪に障る

まぁ、社会のどの部分とも関わりを持たない、孤立無援で無職無給のオカマの個人情報など今更どういう意味も持たないし、「もしそんなモノが欲しいのならばワタシが損をしない範囲でくれてやる」と、なかば投げやりに腹をくくってしまっているから、こうやって顔も晒してるのだケド…w

で、ちょっと興が湧いたものだから、ヒト探しなど始めてみたのだ

いまさら再会したトコロで、どのツラさげて顔を合わせられようかというザマのオカマにだって、それでもやっぱりヒト恋しくなる夜もあるのだから

初めて恋したヒトや、初めてワタシのために涙してくれたヒト、トモダチとは一体どんなヤツを言うのかを激情の涙と共に説諭してくれたヒト、殴り合いをしたヒト… そういった、ワタシにとって有縁のヒトビトの名前を検索し、しかしそのことごとくを発見するコトができなかった

ときどきふっと思い立って、そういうヒトビトを数時間以上もネットで検索してみたりするのだケド、幸か不幸か、これまで一度も発見できた例がない

そういう時、なんとも言えぬ残念な心持ちになったりするものだケド、同時にちょっとだけホッとしていたりもする

見つけたら見つけたで、自分自身の心中に秘められた「隠微な下心」みたいなモノが、妙に刺激されてしまうのではないか… と言うような、そういう恐怖がドコかにある

別に今更、誰かとどうなるワケでもないし、どうこうなろうなどとも思ってはいないのだケド、ハナシの転がり方次第で「じゃ、今度~で会おうか?」などと、自分がクチばしってしまうのではないかという恐怖だ

そういう未練たらしい心境からは、できるだけ遠いトコロに自分というモノを置いておかないと、ワタシというヘタレな中年オカマは、場所柄も相手もわきまえぬ様な「弱音」を何かの拍子に吐きかねない

再会によってココロに刺激を受けた結果、自分が壊れたり弱音を吐いたりするかも知れぬ… それはまだしも、そうやって弱音を吐くコトで、これ以上誰かを困らせたりするのが怖い

ヒトになど、『不用意に』会わぬ方がお互いの幸せためには良いコトなのだ… という一種の保守主義を、ワタシは心中に抱えてしまっているのだろう

そんな検索の果て、やはり最後に、ワタシの指はあるヒトの名前をタイプしていた

といって、本当の名前を知っているワケではない

ずっと昔、PCから送っていただいたメールに、一度だけ表記されていた名前

どんな漢字を充てるのかもわからない

ローマ字表記で、読みだけが記されていた名前

それを検索してみた

たくさんのヒトビトがその検索にヒットして、しかしやはり、そのどれもがあの方ではなかった

「いい加減、もう終わりかな…」というくらいに検索結果を更新し、なかば諦めかけた辺りのトコロに、そのヒトはいらっしゃった

2006年の8月、公私にわたって問題事(殊に「私」の方でボロボロ状態だった)を抱えたうえに、連日連夜の入試問題作成会議でヘロヘロに疲れ果てていた昼休み時… あの方が初めて送ってくださった励ましのメールに添付されていた写メと、全くおなじ画像がプロフィール画面にあった

誤解があるといけないのでいちおう説明を付け加えておくけれども、その画像は決してロマンティックな種類の色味を帯びたモノではなくて、「虚脱したような眼差しで、カメラを見つめつつハナクソをほじってる画像」だったw

こともあろうにあの方は、そんなハナクソをほじってる画像を、初めてのメールに添付してきたのだ

「まったくなんてヒトだろう…」と思ったと同時に、疲労でヘロヘロになった脳味噌が、一瞬にして潤ったかのような錯覚を覚えさせられたものだ

2006/08/17

もはや使えなくなってしまった古いケータイに、今も保存されているその画像には、そう記されている

あの夏以降、あの方もワタシも、その数ヶ月先にどんな結末が待っているのかも知らぬまま、互いに急速に惹かれ合っていった

その時の、二人が惹かれ合っていく発端にあった画像が、このPCのディスプレイに表示されていた

もっと最近の画像だってあるだろうに… そして、もっと良いオトコに撮れてる画像だって他にもいっぱいあったのに、あのハナクソほじほじの画像がソコにはあった

あまりに愛おしくて、ずいぶんと永い時間、ワタシはPCのディスプレイに表示されたそのプロフィール画像を見つめ続けた

あのメールから、すでに6年の歳月が過ぎようとしている

あの方の近況を知るための、唯一の手がかりだったブログが更新を止めてからも、すでに3年近い時間が過ぎている

その間ずっと、ワタシはあの方を探し続けていた

その間ずっと、ワタシはあの方を恋うて泣いていた

その間ずっと、この奈落の闇の淵に座り込んで、還って来てくださるハズのないあの方を待ち続けていた

ずっと昔にはぐれてしまった、その焦がれる程に愛おしいあの方を、雑踏の向こうに偶然見つけたような気持ちだった

プロフィールに記載された記事や情報は、さして多くはなかったけれども、そんなコトは問題ではなかった

永いあいだ見失ってしまっていたあの方を、もはや死ぬまで見つけられないのかもしれないと思っていたあの方を、また再び、この広大にして膨大な個人情報の海の中から見つけ出せたのだから

しかし、だからと言って、話しかけたりなどできようハズはない

そんな無神経なコトをしてはならない

遠くから、こっそりと、あの方に気付かせないように見ているだけにしなくてはならない

ワタシの存在が、あの方に影響を与えてしまうようなコトは、厳に慎まねばならない

いま、あの方は、ワタシという面倒くさい存在からようやく解き放たれて自由となっているのだ

あの夏から、ずいぶんと永い時間が過ぎた

その間ワタシは、人生の半ば近くも過ぎた年頃にもかかわらずオカマ道に転身し、ようやくいっぱしになってきた職も辞し、収入も失い、家族も失い、還るべき家も失い、あとはただ、わずかな蓄財を食い潰すまで老い朽ちてゆくだけの身となった

そしてまた今後も、ワタシがあの方に赦していただけるコトは、決して訪れないだろう

それゆえこれから先も、ワタシが生き永らえ続ける限り、もっともっと永くつらい時間が、ただ流れ過ぎてゆくだけなのだろう

だがしかし、そういった今の我が身の不遇をあの時の不幸な出逢いのせいにするというコトは、卑怯である以上に、あの方とワタシが紡ぎだした過去に対する冒涜だ

あの方もワタシも、それぞれに最大限の誠実さを以って互いに向かい合おうと試み、その誠実さの帰結として破綻せざるをえなかっただけだ

その後の不遇も、同様だ

あの出逢いは単に、きっかけであったに過ぎない

現在のワタシや、ワタシと関わったヒトビトにまつわる不遇は、全て「ワタシ自身が選択をした結果」でしかない

その選択の発端のトコロに、偶々あの方が存在していらっしゃっただけのコトだ

あの夏、不幸な出逢いをした二人がいて、その結果としてお互い悲痛な経験をしたが、そのうちの一方が、今ようやく相手から自由になれた段階に辿り着いている… ただそれだけのコトだ

ワタシは、今もあの方が愛おしい

それだけで良い

その事実だけを抱きしめて、ワタシは滅してゆかねばならない

それだけで充分に、この身に余る幸福なのだと満足しなければならない

今後、ワタシに訪れるかも知れぬ幸福の、その全てを捧げる… だからあの方と、あの方の大切な人々に幸あれ

それだけで良い

それだけで、ワタシごときには分不相応なほどの幸いだ

<中村中:友達の詩>

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