地域の救急救命センターが付近にあるせいで、毎夜数回、夜半過ぎのサイレンの喧騒がかなりの音量で周囲に鳴り響く
今夜も既に3度、目を覚まされている
ああ、また、何処かの誰かが、怪我したり倒れたりしたんだなぁと、思う
生還できる人、逝ってしまう人、半身が不随になる人、植物状態になる人
救急車で担ぎこまれた人のその先を、まどろみの中で想像する
有縁の人々、そして己の身に置き換えて、半覚醒のまま怖気が立ち、居たたまれなくなって寝床から半身を起こす
暗がりの中ベッドの上に半跏し、そのまま、まんじりともせぬまま今朝を迎える
起きてTVをつけてみると、日テレ系では恒例の24時間テレビというのが放送されている
今年で36回目なのだそうだ
初回と2回目だったか、ウチでもちびちび貯めていた小銭を寄付した記憶がある
初回の日曜10:00は手塚アニメ バンダーブック
当時、2時間枠のアニメなどは劇場版くらいしかなく、それがテレビ枠で最初に放映されるというので非常に話題になったものだった
2回目は、当時としては画期的とも言えるスターシステムによって数多くの手塚キャラが活躍するマリンエクスプレス
3回目はフゥムーンだったっけかな
4回目のブレーメン4は見た記憶がない
この頃は車田じゃなくて手塚ファンだったせいもあって、バンダーブックとマリンエクスプレスはロマンアルバム(死語?)を持ってたし、マリンエスクプレスはカセットに録音してテープが擦り切れるほど何度も聞いてたから(修辞ではなくてホントに切れたw 120分テープは60分テープの半分の厚みしかなかったんだょねぇ…)、今でもセリフをほとんど暗誦できたりする
5回目のアンドロメダ・ストーリーズの原作が光瀬龍・竹宮恵子というのは、いま知ってみると見逃したのがかなり惜しまれる(特に光瀬の方で)
多分この辺りの時期は、中学に入って女々しさを払拭しようと足掻いていた頃でもあるし、気持ちがネジくれてたのもあるし、当時の若者の常として、テレビから流れてくるコンテンツのヤラセを見透かし冷笑するという風潮の中にいたからかもしれない
つまり中坊になって少しマセて、もしもそういうのを視て涙なんぞを零ししてる自分の横顔を誰かにチラリとでも見られたりしたならば、もはや腹十文字にかっさばいて見せてカッコでもつけないと、羞恥のあまり明日からは学校にも部活にも行けなくなっちゃうほど自意識過剰な年頃だったので、そういう偽善ぽいのは見なくなったのだ(今はもう、平気で人前で大泣きできるw)
その後のこの番組を、チャンネル変更の合間にしか目にした記憶がないというトコロからして、よほど視聴を忌避していたか、そうでなければこのテの番組に対して決定的な肌合いの悪さを直感していたのだろう
まぁしかし、そうは言っても初回と2回目は、募金までしているのだ
こんなボクでも、ウブで純粋だった頃はあったのだょ(失笑)
初回は1978年だそうだ
いまの実家に、家族四人が引越して1年が過ぎた頃だ
父・母はまだ若く野蛮で、肉食恐竜のつがいのように血が滾っていた頃だ
ワタシはようやく異性としてのオンナノコを意識して、自分とはつまりオトコという生物なのかと自覚させられた頃だ
弟はまだ小学2年生で、腰から下に残された無数の手術痕がキモチワルイと馬鹿にされいじめられたりしていた頃だ
みなみな、若かった
その後の数十年で、どういった変転が自分たちに訪れるのかも知らなかった
あれから36年が過ぎたのだ
今年、父は73、母は76になる
もう、今日倒れ、そのまま逝ってしまっても、何ら不思議ではない
弟も、かつて医師から告げられた余命時期をそろそろ迎える頃だ
そう考えると、居ても立ってもいられない様な焦燥に迫られる
そして同時に、あの頃おなじ苫屋の下に暮らした各自が、もはやどうにも取り返せない程に、斜陽の季節の深くにまで足を踏み入れてしまっているのだという事態を肉感させられ、茫漠とした想いに駆られる
何がこうさせたのか
どうしてこうなったのか
ワタシのせいのような気もするし、それだけではないような気もする
遠からず、彼らは逝ってしまうコトだろう
おそらくワタシは、一人残るコトだろう
子も縁者もないまま、しばらくしてワタシも逝き、そして我が族党は一門断絶となる
それで終わるのだ
大海に浮かんだ笹船のように取るに足らない一家が、あるとき何かの拍子に波間の泡の如く生じ、少しだけ栄え、やがて衰え、また再び波間に滅して消える
あとには何も残らない
それだけのコトだ
ただ、それではあまりに可哀想だとも思う
父も、母も、弟も、先に逝った息子や娘も、あまりに可哀想だと思う(ついでにワタシもw)
この世のドコにも、引っ掻きキズすら遺せぬまま消えていくのは、とてもとても可哀想なコトだと思う
父・母は、コレまでの人生を振り返り、言いようのない虚無感と無力感に苛まれているであろうコトは想像に難くないし、その程度もワタシ以上のモノだろう(否々、あんがい享楽的に己の余生を過ごしているのかもw)
この世に生じた多くの生物は空しく生まれ、為すコトもないまま空しく消えてゆくコトの方が圧倒的に多いのだから、それも仕方のないコトなのだ、とも思う
そうではあるのだが、それでももし虚しく消えてゆかねばならない彼らの生を、少しは意義あるものにしてやりたいと願うならば、遺された者が何らかの役割を果たさねばなるまい
ワタシにはもはや、子を生すコトすらできないが、それでもむりやり何者かと関わり、彼ら父・母・弟から伝えられた何事かを何者かに伝える
そうするコトで、せめて幾許か、彼ら空しく消えてゆかざるを得ない者どもを、意義ある存在とせしむる
コト此処に至っては、そうせざるを得ないのかもしれない
あるいは今、この瞬間にもこの寝床を打ち払い、急ぎその足で彼らを訪い、なりふり構わず彼らと寄りを戻すための努力を為す、というのも現状における最善の策なのかもしれない
毎夜そういうコトを逡巡し、闇の中「否々 ヤハリ、ソレハ否ヤデアル」と頓狂な声を上げ、再び浅い眠りに落ちてはサイレンに眠りを破られる
この斜陽の季節、いったい何をしていれば、こういった物憂さから逃れるコト叶うのか
野の青草の如くひたすら右上がりに繁茂生育してゆく者が身近に在り、その者と関わりあえれば少しは気晴らしにもなるのか、いやそれほど容易いコトではないのか
そう考えながら、エリザベス・サンダースホームだの、乳児院だのという単語を検索していたりする
人生の斜陽から晩冬に至るこの季節、子もなく抱き寄せるべき者もいない漂泊者というのは、その身の振り方に甚だ難渋するよう「最初から仕組まれている」のかもしれない
それはきっと、この世の造物主サマというヤツから仕掛けられた、用意周到なほどに底意地の悪い呪詛だ
もったいなくも頂戴した生に感謝し、それを甘受し、さらには享受した生を他に引き継ぐというコトを為さなかった不遜極まるエゴイストに対する、濃厚な悪意を捏ねあげて作った強烈な呪詛であるに相違ない
36年前のあの夏、砂利を簡単に布いただけの新居の庭には、見上げるほど背の高い向日葵が3株、誇らしげに咲いていた
夏休みの観察記録のために、弟が種を蒔いたモノだったのだろう
可愛らしい指で地面に穴を穿ち、拗ねるコトも意固地になるコトも他人を疑うコトもない素直な心で種を蒔き、発芽と開花を待った結果だったのだろう
それは青い空に向けてまっすぐ健やかで、すがすがしいほどに夏らしい景色だった
家族揃って自転車に跨り、近所のイベント会場に募金を持参する際、それをまぶしく見上げたのを覚えている
あれから36年の月日を経た晩夏、ワタシの傍らにも彼らの傍らにも、狂おしいほどの生気に噎せかえるこの季節を謳歌する者は何も存在しない
あるとすれば底知れない虚しさと、怒りにも似た馬鹿馬鹿しさといった心情くらいだ
すべては己が蒔いた種だ
その種が芽吹き、ソコから生じてきた現状に辟易とさせられ、物憂さだけが日ごと増す
もはやグゥの音も出ない
後はもう、半ばやけっぱちで残り時間を消化し、不貞腐れてソレを閉じるしかなさそうな予感がしている
コメント
父は昨年認知症のはてにベットの上でふと目を離した隙に息を引き取った。母はそれより2年ほど前、癌の鎮痛のためと医師が言う注射を打たれたあと朦朧したまま亡くなった。 みんな、生前、何もしてあげれなかった。ありえない話だが、両親の老いから発生する衛生な物事はすべて避けてきてしまった・・・
子供じみたレベルの「介護」を自分の中で美化し時間を稼いだ。避けてきたものは目を向けなかった・・・そんな自分でも 今こうしてのうのうと生きてます。 今日飲むビールに幸せを感じ、ゲームや動画に勤しむ時間と空間に胸膨らませています。
それでいいじゃないですか。
ロビンさんが背負う業は相当なもの。
それでもロビンさんは明日、布団から起きて
ご飯食べてうんこして、外の空気吸って
背伸びして何かするのでしよ?
それでいいんです。
結局人ってそんなものなのかも・・。
始終苦しむのは損かも。
己のせい・・だなんて・・
思うほどのものではなく、意外なものが
事の原因だったりもする。
少し過ごしやすくなりました。
ひとまず、「おいしい」ものでも食べて
「生きてる感覚」味わいましょうね。
失礼なコメントだったみたいです。すみませんでした。以後コメントは避けます。ごめんなさい。
>うるとらせぶんサマ
あらあら、なにも御気になさらずですw
自分にとって都合の良いコトバだけが欲しいなら、コメントを承認制にすれば良いだけですし、誰のコトバも欲しくなければコメントを受け付けない設定にしちゃえば良いだけですもんね
ワタシのブログの全記事がそうゆう設定になっていないのは、ドコの誰に対してもオープンであるコトを基本にしているからです
自分にとって都合が悪いコトバや、自分が聞きたくないコトバの中にも、本質を言い得ているモノが絶対に存在するハズですから
そうゆう、「自分にとって痛い」コトバと己自身の考えとが、真剣で殺りあうコトを、心のドコかで望んでいたりするから
そしてできれば、ワタシはその相手のコトバによって完全に敗北してしまうコトを心のドコかで望んでいたりするから
だから、ワタシの全てのコトバは全てのヒトに対してオープンになっているのです
たとえどんなコトバであろうと、真剣に考えた上で届けていただいた想いには、真摯に向き合いたいのです
↓へ続く
↑の続き
ワタシのレスが遅れてるのは、考えてるからです
テキトーに「そっか、そうですよね」なんて生半可な相槌をうつのなんて、想いを届けてくださった方に対して失礼ですもんね
いったいどうゆう根拠をもとにすれば、「~それでいいじゃないですか」という心境を招来できるのか、現在のワタシにはちっともわからないのです
ある時、慈しみ愛おしんだ者が逝ってしまったとして、そうゆう時でも「そうゆうモノなんだから仕方ないんだ」とか、「それでも自分はまだ生きているじゃないか 生きてその日その時に味わう刹那的な喜びや快楽を感じられるというそれだけで、充分に幸せじゃないか」というような心境にはどのようにしたら至れるのか、まったくもって想像も及ばないのです
わからないから考えているのです
自分のアタマと身体だけを使って、納得できるだけの根拠なり手応えなりヒントなりを見つけようとしているのです
現状のワタシにお返しできるのは、こんな程度のモノくらいのようです