されど我らが日々

<堀江美都子:アクビ娘の歌>

98年の1月15日、関東では内陸部を中心に大雪

翌朝にはかろうじて止んだが交通は大いに混乱し、17日になっても路肩にはけっこうな嵩の雪が残されていた

17日は土曜日で、ワタシも元・相方も午前中いっぱいの勤務の後、退勤がかなった

時間にゆとりがあったせいか、元・相方は、さほど急ぐ必要もなかった業務上の支払いを済ますコトを思い立つ

彼女を車に乗せ、職場近くの事務用品店に向かう

ワタシは車内に残り、元・相方は店へ

その店先で、元・相方は出逢った

寒さに凍え、雪と泥に全身を汚され、肉球はしもやけで桃色を失い、風邪で呼吸器をやられてニャーとすら鳴けぬ、哀れでみすぼらしい子猫と出逢った

雪と寒風の中で母猫とはぐれたのだろうか

店主に尋ねると、前日あたりから店先に現れ、ドコに行くアテもなく途方に暮れている様子だったという

精魂尽き果てて逃げる気力すら失い、かろうじて雪や風をしのげる店先にうずくまっていたのかもしれない

元・相方は身元を明らかにした上で、もし飼い主が現れたなら連絡をしてほしい旨を店主に頼み、この哀れでみすぼらしい子猫を引き受ける覚悟をした

胸に抱き上げ、「一緒にくるかい」と子猫に問うと、子猫はそのてのひらをぐっぱーと開いて肩口にしがみつき、けっして離れようとしなかったという

その時から、娘との生活が始まった

獣医の診立てでは呼吸器をひどくやられている様子で、気管支と鼻がぐずぐずしているせいか、娘はずいぶん長いことぐーぐーと鳴いて過ごした

そんなワケで、名前は「ぐーっ☆」

「ぐー」とか「ぐぅぐぅ」という名前は散見するが、ちっさい「っ」と「☆」が入っている名前はウチの娘くらいだろう

エドはるみがブレイクする2008年をさかのぼること更に10年

元祖「ぐーっ☆」は明らかにこっちだ

その後ぐーっ☆は、血のつながらぬ優しい兄にこれ以上ないほどに慈しまれ、スクスクと育った

気が小さいのをひた隠しに強がるワガママ娘のクセに、自分を慈しんでくれる存在がすぐ身近にあって初めて、伸び伸びとおなかを見せて眠れるような、そんな見事なツンデレに育った

ワタシも元・相方も、共働きで帰りは遅く、日々の疲れにかこつけて、さして手をかけて慈しむコトもなかったように思う

出逢った当時、焦点も定まらぬ程うつろな瞳をしていたあの娘が、あれほど感情表現豊かに育ったのは、ワレワレが不在の間もずっと傍にあって、あの娘を慈しんでくれたさすけがいてくれたからだろう

残雪の中で娘と出逢った頃、ワタシも元・相方も、まだ若さの残照の中に在った

それからおよそ10年の後、さすけは急な病を患い、苦しい闘病の末に逝ってしまった

さらに下ること5年

2013年の8月2日、愛しい娘も兄の下へと渡った

娘がついに逝ってしまった昨夏、ワタシも元・相方も、いつの間にか己が、老いの端緒に寄る辺なく立ち尽くしているコトに気づかされ慄然となった

若さとは、右上がりの季節の総称だ

時の経過が、向上とか成長とか獲得といったモノをほぼ無条件に約束してくれる季節だ

それはきっと、ヒトの生涯における盛夏の頃

ワタシにもそんな季節が人並みほどにはあり、その日々の中で少なからず得たものもあった

しかし思い返してみれば、廃棄され、発狂し、職を辞し、親兄弟とも縁を絶たれ、息子を失い、挙句に娘も病魔に奪われた

それだけのコトであったようにも思われる

元・相方には、更にもっと違った喪失があるに違いない

夏、さまざまな事があった

そして今、ワタシや元・相方はおそらく晩秋に差し掛かった

此処から先の、厳冬へと向かう日々は、ただただ失うコトばかりだ

これまで生きて手に入れてきた関わりや能力や健康や財産といったものの、その全てを失っていくだけの季節

仮に何かを得たとしても、瞬くうちに喪失してしてゆくコトの連続

そういう季節を迎えねばならない

日々訪れるあらゆる喪失を、承服もできぬままたて続けに飲み下してゆかねばならない

そういった、喪失してゆくコトばかりに心を占められる日々の中に在って、その絶望的な虚無感を打ち払えるのはおそらく、きっと、ただひとつ

己の肉体が滅んだ後にも、健やかに伸び育つ子

己が滅した後も、己の後に続いてくれる若々しい生命が確かに在るのだと肉感できるコトだ

それゆえに、老境に至って子を失うというコトの痛切が、肉感を伴ってヒリヒリと、ココロと身に沁みる

竹取物語に曰く

その後、翁嫗、血の涙を流して惑へどかひなし あの書き置きし文を読みて聞かせけれど、『何せむにか命も惜しからむ 誰が為にか 何ごともやうもなし』とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで病み臥せり

「何せむにか命も惜しからむ 誰が為にか 何ごとも益もなし」とは、老いて子に先立たれた者でなければ決して解らない心境だろう

姫が逝ってしまった時、翁は齢五十であったという

翁も嫗も、もはやその先の何事かを望める齢ではなかったのだ

だからこそ、人生の晩年近くになって娘を得た僥倖の、その永続を夢見、その幸いの内に自らの生を終えるコトを願ったコトだろう

にもかかわらず、その身が老い朽ちてゆこうとする頃合になってようやく微かに灯った安寧の燭火を、承服しがたい成り行きの挙句、強引に吹き消された

姫が天上のセカイへと還ってしまった後、竹取の翁・嫗がその胸に抱えた悲嘆と虚無と喪失は如何ともしがたいほどのモノであったに違いない

言いようのない虚無感に苛まれ、バカバカしさと憤りと抑えがたい呪詛を天に吐きかけて、その末期を迎えたコトだろう

「何ごとも益もなし」

そう思う日々が、あれからずっと続いている

<サンボマスター:ラブソング>

コメント

  1. achilles1216 より:

    ぐーっ☆もさすけも空の上からちゃんと見てるさ 優しい優しい母のような貴女を慈愛に溢れる目でちゃんと ね そして新しい家族もちゃんと見守っててくれてる。

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