「秋日狂乱」 中原中也
僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳(くうしゅくうけん)だ
おまけにそれを嘆(なげ)きもしない
僕はいよいよの無一物(むいちもつ)だ
それにしても今日は好いお天気で
さっきから沢山の飛行機が飛んでいる
――欧羅巴(ヨーロッパ)は戦争を起(おこ)すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等(こどもら)は先刻(せんこく)昇天した
もはや地上には日向(ひなた)ぼっこをしている
月給取の妻君(さいくん)とデーデー屋さん以外にいない
デーデー屋さんの叩(たた)く鼓(つづみ)の音が
明るい廃墟を唯(ただ)独りで讃美(さんび)し廻(まわ)っている
ああ、誰か来て僕を助けて呉れ
ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが
きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ
地上に落ちた物影でさえ、はや余(あま)りに淡(あわ)い!
――さるにても田舎(いなか)のお嬢さんは何処(どこ)に去(い)ったか
その紫の押花(おしばな)はもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天(しょうてん)の幻想だにもはやないのか?
僕は何を云(い)っているのか
如何(いか)なる錯乱(さくらん)に掠(かす)められているのか
蝶々はどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか
ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見もしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……
空虚な日々が続く
生業も持たず、関わるべき家人も他者ももはや無く、そのうえ何もしていないのだから、それは至極当然な虚無なのだ
眠くなったら寝て、目が覚めたなら寝床からゆっくりと身体を起こす
目覚めたところで何するコトもないものだから、ぼんやりとテレビの画面を眺める
しかし何を眺めていてもただやかましいだけで、どいともこいつも幸せそうな顔しており、バカ騒ぎしているようにしか感じられないから、うっとおしくなってすぐに電源を落とす
音楽を流してみるが、何も心に響かない
文字を読んでも一向に、意味がアタマに入ってこない
だからといって今さら目を瞑ってみたところで、もはや眠くはないから眠れもしない
再びPCの電源を入れ、子猫の里親募集というのをぼんやりと眺める
数時間おきに、さまざまな里親募集サイトの更新をチェックする
まいにちまいにち、新しい猫たちの情報が追加されてゆくのを眺め続ける
息子や娘に似た面影の猫たちを、眠くなるまでいつまでも探す
黒いコは結構いるようだが、両目にがっつりアイラインの入った三毛のコは見当たらない
「黒いコは、あんがい陰気くさいカンジで棄てたくなるのかな…」などと、棄てる側の気持ちなどを想像してみたりもする
そして、あるとき不意に気付かされる
まだ20代半ばだった16年前、まったく偶然に出逢ったトコロから始まり、つい先日とうとう終わってしまった「あの愛おしき日々」とはつまり、ワタシと元・相方にとっての「青春の日々」だったのだと気付かされる
この二日にあのコが逝って以来、ワタシも、元・相方もめっきり年老いた
容姿や振る舞いがどうのというのではなくて、心境がすっかり老け込んだ
老境に至って子を失くすという心境は、きっとこういう虚無感に違いない
姫が月へと還ってしまった後、竹取の翁・嫗はきっとこういう心境のまま、やるせない今際の際を迎えたに違いない
七年前、物狂いしたかの如き発心と抑え難い我侭によってワタシはオカマに変じたが、その結果として息子を失ったに等しい老父・老母の痛哭も、きっとコレに似るだろう
そういうコトに肉感をもって気付かされた時、オカマ個人の抱える悲哀など、もはや大した意味を成さない
日々衰え、時々刻々と老いさびてゆく者にとって、盛夏の若草の如く生育してゆく我が子の存在こそが、かろうじて右肩上がりの何事かを肉感させてくれるのだ
事あれば萎れてしまいそうになる己の心を、勇躍奮起させてくれる存在となるのだ
そうでなければこのセカイなど、きっとあまりに馬鹿馬鹿しくて生きるにも足るまい
己ひとりのためだけの「生」などは、あまりにウソ臭くて四肢にも肝にもチカラすら入るまい
それゆえ、今のワタシには、まったくもって何もかもがあまりに馬鹿馬鹿しく、ゆえに何のチカラも入らない
過ぎ去った若き日々と、そしてその日々の内に在った我が子たち
それら不可分の二者は、取り返そうにも、もはや決して取り返すコト叶わない
夏草萌ゆる今、ワタシたち四人家族がまだ若く盛んだった「幸福の日々」の象徴として、あの子供たちは残されたワタシたち二人だけの記憶野に刻まれ、そして二度と手の届かぬ彼岸へと渡ってしまった
「春日狂想」 中原中也
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
2
奉仕の気持になりにはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前〈せん〉より、本なら熟読。
そこで以前〈せん〉より、人には丁寧。
テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田〈ばくかんさなだ〉を敬虔〈けいけん〉に編み ――
まるでこれでは、玩具〈おもちゃ〉の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇〈あ〉へば、につこり致し、
飴売爺々〈あめうりじじい〉と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなつたら、日蔭に這入〈はい〉り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
((まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。))
空に昇つて、光つて、消えて ――
やあ、今日は、御機嫌いかが。
久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処〈どこ〉かで、お茶でも飲みましよ。
勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、 ――
戸外〈そと〉はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、
外国〈あつち〉に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美〈は〉しく、はた俯〈うつむ〉いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮
3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に ――
テムポ正しく、握手をしませう。
<サンボマスター:ラブソング>
コメント
それでも明日太陽また昇るのだ。
>ウルトラセブンさま
「あした」という言葉に意味を感じるコトができるのは、明日という時間を生きるコトができる者のみです
衰滅してゆく者… あるいは今日の夕に滅ぶ者にとって、「あした」という時間はさしたる意味を持ちません
仮に、衰滅し滅んでゆく者にとって「あした」というモノが意味を持つ場合があるとすれば、それは「滅びゆく己の存在が、明日を生きる者に対して何らかのカタチで良きはたらきを及ぼせた時」のみ、ではないでしょうか
今日消えてゆかねばならぬ己の存在が、明日もきっと生きるであろう存在に影響を及ぼしうるのだと肉感できた時、「今日これから滅んでゆかねばならぬ己の不運・未練を、せめて諦められる」ような気がします
己が滅んだ後、「あした」もきっと生き続けてくれるはずのコドモという存在を、己が逝く前に失ってしまった時の絶望感や虚無感… それはつまるところ「己の一生の何割かを賭して尽くした意味を、その根底から無意味化されてしまう」というところから生じるのでしょう
まして老境に至ってからでは、その後ふたたび新しい生命と意義深くかかわりあうコトも、まず望めはしないのです
人生の終焉近くに至って、ようやく得たはずの愛おしい姫を失ってしまった竹取の翁・嫗の悲哀とは、そうゆう性質の哀しみです
彼らのココロにも、「あした」という慰めのコトバはきっと響かなかっただろうと思います
「あした」というコトバは、明日と関わる可能性のある者のみに有効な意味を持つからです
姫が月へと昇ってしまった時、彼らは彼らの「あした」を失ったのです
申し訳ありません。ほんと深い意味合いもなく。明日と言ういいかたをしてしまいました。 ただ、ただ、ロビンさんに何かボールを投げなきゃと思い書き込んだだけです。ごめんなさい浅はかで。上手く言えませんが良くもそうでなくても太陽はまた昇ってくる。悔しいけど生きてる限り、ただそれだけ、ほんと… ただそれだけ… わからないコメントなのでBGMぐらいなしてね。
>ウルトラセブンさま
謝っていただく必要など、まったくありません
お気になさらず、です
メンド臭くて、そのうえ陰気臭いオカマに想いを届けていただけるだけでも、充分にありがたいコトです
そうゆう御厚情を寄せていただける方が、まだこの世にいてくださるというだけでも、とてもとても幸福なコトです
本当にありがたいコトです