今ではもはや、その辺の小坊でさえ「エミュ」という言葉を知っているが、Win95全盛の頃は、ハックやクラックと並んでエミュレーターはアングラ中のアングラなカテゴリだった
エミュレーター:「emulate ~」とは「~を真似る・~に匹敵する」という意味 PC界では他のハードウェアをソフトウェア的に処理して、仮想的に再現するコトを言う エミュレーターとはその実行ファイル群の総称
Wikiっぽく表現するとこんなカンジかな
近年では特に、ゲーム機や他のOSをPC上で再現させる技術を指して使われるコトが多いんだケド、コレの黎明期、随分と深入りしたモノだった
かつて、仲間たちと共にその技巧の粋を究め、世界でも屈指(のハズw)と言われる超絶美技の数々を生んだ「ファミリーテニス」… そのデモ画面がPCのディスプレイに表示された時の驚嘆は、いまでも生々しく記憶している
その驚嘆は、単にPCで懐かしいゲームができるから… だけではなかった
キカイというモノの進化の可能性を、まざまざと見せつけられた瞬間だったからだろう
CPUやグラボ、メモリの性能がこのまま加速度的に向上を続ければ、あらゆるハードウェアを仮想化できるのではないか(無論、出力デバイスの能力には依存するが…)という確信に近い予感を感じさせられたからだ
<ドリームキャストをCore2Duo 3GHz搭載PCに改造し、PS2を動作させてみた 前編・後編>
実際、ファミコン、スーファミ、ゲームボーイ、メガドラ、NeoGeo、PSと、時を経るごとに再現領域は広がってゆき、それらのゲームソフトをデータ化して、無償でダウンロードできる状態が世に蔓延し、現在にまで至っている(年始に法が整備されて、今はいくぶん沈静化してるのかな)
デジタルデータ化することで圧縮性・隠蔽性が飛躍的に向上し、画像データの中に埋伏させたり、ファイルを分割して暗号化したりといった隠蔽技術が百花繚乱w
その秘匿技術の種類も、量も、生成から消滅までの速度も、どれも異常なほどで、それはあたかもカンブリア紀の種の大発生の様を呈したかの如きであった
その後、現在に至るまで、時々に官憲やゲーム機メーカーによって沈静化させられるコトはあったにしても、エミュの命脈は着実に受け継がれ、回線の安定化・高速化とファイル共有ソフトの蔓延は、巨大なデータを極めて安易にやり取りするコトに更なる拍車をかける結果となった
アナログモデムとダウンロードツールRegetを使って、3日かけてやっとひとつロムを落としたら、CRCエラーで使えなかった… などという話は、もはや酒の上で吐くグチと等質の響きを持つだろう
当時を振り返ると、ゲームソフト(ロム)をタダで手に入れるというコトよりもむしろ、如何に足跡を残さずにロムの在りかに辿り着き、ソコに仕掛けられた隠蔽技術を発見し解除するか… という、一種の敷居を越える技術を獲得するコトが、かつてのギーク達の喜びだったのではないかと思ったりする
あの、官憲の目を篭絡するために生まれた自然発生的なムーヴメントは、謎解きパズルにハマってゆく入り口のようだった
そして、それよりも更にコアなものを欲した者はハッキングや逆アセンブルへ、またあるいはプログラミングや回路設計へと深みにハマってゆき、それらの内のある者はそのまま技術者になったかもしれず、ある者は現在では官憲にその技量を供与しているかもしれない
エミュの実行ファイルを動作させるにもそれなりの語学力も必要で、それ故に、それなりの分別・知識を有する者とそうでない者とを、その段階で振り分けるコトができていた
しかし、そういった敷居が消滅しフィルタリングが機能しなくなった現在、「nds rom」とでもググれば、小坊ですら容易にDSのロムが手に入るし、それを如何に使用するのかという知識ですら、多数の画像と和訳で懇切丁寧に指導してくれるマニュアル本を、ジャンプと一緒にコンビニで手に入れるコトが可能な日常となった
ひとつき程まえの報道には、こんなの↓すらあった
「仕分人・蓮舫が息子のマジコン使用を『Twitter』で暴露! 息子に説教」
SDカードもずいぶんと安価になり、ケータイにもごく普通に入ってるから、もはや小坊同士でromのやり取りなど日常だ
ガッコの休み時間に、ともだち同士でお菓子でも分け合うように、何気なくやり取りする
カネを出せば手に入る改造コード集を使い、ソレによって手に入れたレアアイテムを持っている程度でスグに速成ギークに仲間入りができる
知識というモノは広く普及するべきだが、しかし決して安易に普及させるべきモノではない
敷居を越える資質で振り分け、その程度に応じて適切に普及させてゆかねば、結果として現今の様な事態を招来するだけだ
他人の知らない知識を手にした者は、つい安易にソレをひけらかす
そしてコトバを有するが故に、きわめて安易にソレを説明するコトができる
受け手もコトバを有するが故に、きわめて安易に知識に至るコトができる
知識や技術とは、先人たちがその身を削り、時に命を失い、いくつもの世代を経て受け継ぎ精錬してきた珠玉だ
知識を受ける側は、ソレを受けるに見合った資質をその身に帯びるよう努めねば、受けた珠玉がソコで濁りを帯び始める
知識とは、技術とは、原初そうゆう神聖なモノではなかったか
コトバとは、核心に至るまでの途路の所々に設置された「手すり」程度のツールにすぎない
知識とは、自らの血肉を労して手にするべきモノだ
コトバのみに拠るべきモノではないと、今も固く信じている
↑さいしょはなんだか良く判らないのでコメントを消して視聴しましょうw
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