数日前から、ペルーのマチュピチュで、豪雨のために邦人70名以上が取り残されているという報道が流れている
ペルーのマチュピチュ… 誰だってお子サマだった頃、「忘れられた空中都市」とかなんとかゆう煽り文句のついた記事で読んだコトくらいあるだろう
伝奇とか、古史古伝とか、古代の葬制とか、文字に拠らない口伝の歴史とか、そうゆう実像の定かならぬ過去に惹かれやすい体質のワタシも、ご他聞にもれずそういうムー的な(失笑w)記事や映像なんぞを好んで摂取するクチだ
彼の地の人々のDNAは、海面の凍結によって繋がったアリューシャン列島を踏み越えて新大陸へと渡ったモンゴロイドと、環太平洋海流に乗って島々を渡り歩いたポリネシア・メラネシアを発祥とする海洋性民族とにその源流を遡るコトができる… などという科学的事実は、ワタシの心の一番奥の辺りに深く根を張った「来歴否認」や「ニライカナイ幻想」を殊更に刺激し、「厭離穢土 欣求浄土」な心境を招来する
本来、定住生活を旨とするヒトという生物が、何の因果か落ちぶれて今じゃマッポの… じゃなくて、何の因果か流離の涯てに、ようやく辿り着いた新大陸 嗤いたければ嗤うが良いさw
ワタシたちと始祖を同じゅうするアジアンな造型を、彼の地の人々の相貌の端々に見て取れた時、遠い異国の人々にも関わらず、彼らを親戚の様な身近さで肉感したりする
同日のCNNニュースでは、アメリカのドコだかの町の病院が閉鎖に追い込まれて、住民たちが大変な難儀を強いられているというような報道もあった
DSのラブプラスで凛子とデートをしていたせいもあるが、このニュースを横目で見て、ワタシは「ふーん」と言ったきりだ
「ふーん」という、言葉とも呼べぬようなコトバの中には「ウチにゃあカンケーねぇし…」みたいな、無関心の成分が濃厚に含まれている
少なくともその、アメリカのなんとかいう町の中で起きている事態には、なんらの肉感を感じられないから「ふーん」なのだ
この扱いの差は何から生じ、何を意味しているのか
たとえばワタシは、自分のコトをさして「オカマ」と自虐する
が、見も知らぬ他人がすれ違いざま「今のオカマだょね?」とか話していたりするのが耳に入れば、それなりに腹立たしい(もう慣れちゃったケドw)
同様にワタシは、自分の父親に関して、殊更に罵詈雑言を並べ立ててヒトに語るが(聞かされるヒト、ごめんね)、アカの他人から自分の父親のコトを悪しざまに言われれば甚だしい怒りを覚えるだろう
同様にワタシは、栃木県民のコトを小バカにしたような軽口を平気で叩くが、他県民から栃木県を嗤われれば無性に腹が立つだろう
同様にワタシは、関東モンのコトを「シャレも通じなければ無意味なコトバの応酬を楽しむ余裕もない、極めてつまらん連中だぜ」と吐き捨てるが、関西人あたりから同様な文言で嗤われれば「けったくそ悪いヤツ」と思って、その後は社交辞令を交わす程度のお付き合いしかしなくなるだろう
同様にワタシは、日本人を「極めて浮薄で迎合しやすいお調子モノの集まりだ」と嗤うが、他国民にそう侮られれば日本男児の赤心の何たるかを白刃を以って知らしめてやりたくなる(…かなw?)
同様にワタシは、アジア人のずぼらでいい加減で泥臭い生活習慣を生理的に受け付けないが、それを卑賤視する西欧人がいれば、その毛唐を一刀の下に斬り捨ててやりたくなる衝動も覚える(…えw?)
こういったアンビバレンツな感情・気分は、つまるところ「ドコまでが自分であると実感できているか」というトコロから生じるのではないか
父親や栃木県民や関東モンや日本人やアジアンというカテゴリまでを「自分のコト」と認識しているから、ソコに肉感を感じるコトができるのだろう
「アジアのモンゴロイドの延長にペルーの人々が繋がっていると分かっている」から、そして「ソコの人々の築いた文明はアジアを起源としたモノであると知っている」から、余計に肉感を感じやすいのだろう
少なくとも、こぎれいだが皮下にたっぷりと脂肪ののった欧米人よりも、田舎の田畑で土こねでもしていそうな、浅黒い肌の貧相なおじさん・おばさんたちの相貌の方により親近感を感じる
あぁ、このTVで救出されてるヒト、死んじゃった富山のおじさんに似てるなぁ…と思ったりするトコロからそうゆう感情は生まれる
そうして生じた「感情」は、相手をより深く知るコトによってさらに純化されて「考え」とか「思考」といったモノへと蒸留され、より厚みのある自己像を形成するための成分となる
自分自身の輪郭線をドコまで拡大して認識しているか…
自己像を規定する輪郭をドコまで拡大できるか…
それがこの関心と無関心との差を生む根源だ
「博愛」という、非常に実感するコトが難しいコトバがあるが、この一種の「超感覚」に至れれば、あるいはワタシの様な者でもアメリカのドコだかの町の人々の痛覚に共感できるのかもしれない
その超感覚に至るためには何が必要か
自己の輪郭を拡大し、アメリカのドコだかにある、なんとかという町の人々の痛みを自己像の内に取り込むために足りないモノは何か
それは、さらなる外界の存在ではないか
それは、アメリカをも自己の内に包含する輪郭の、さらにその外に広がる世界の存在ではないか
輪郭とは、内と外を隔てる壁なのだから
外界がなければ、輪郭はおのずと存在するはずもなく、存在する意義もなくなるのだから
かつて世界には、自由主義経済圏と社会主義・共産主義経済圏という括りが存在した
その括り…輪郭線は、アメリカと日本とを同じ集合の成分として外界と区分けする機能を果した(少なくともロスケよりはアメリカを、より身近に感じさせていたはずだ)
しかしもはや、そういう括りは何らの意味も成さないほどに世界はバリアフリー化に傾斜し、その傾向は今後も加速するコトだろう
アメリカをすら自己の内に包含する、外界との輪郭の不在…
となれば、何だ… やはり宇宙人か?
サイヤ人でも侵略してこないとワタシは… 否、我々は「地球人」として、アメリカのなんとかいう町の人々の痛みに、心から共感するコトはできないのではないか
幕末もいおいよ押し迫った頃、海援隊内の者同士でさえ藩閥意識が抜けずにいがみ合う様を見て、隊長・坂本龍馬は「早く日本人になれ」と諭したという
150年以上前の、チョンマゲどもがその辺をごく普通に闊歩していた時代に、斯くも非現実的な意識を持ったオトコが突如出現し、大政奉還という一種の魔法を成し遂げて内戦を回避し、それが成るや忽然と天へと還って逝った
こういう珍奇な行動人を自国の歴史に持てたというコトを、日本人は誇りに思っても良いとは思うが、思うだけでなく、このヒトの思想を推し進めた意識に自らが覚醒しようと努めても良いのではないかとも思う(好みとしては高杉とか河井とか土方みたいに、生き急いでるヤツらの方がスキだけど…)
ワタシの輪郭をアジアンから更に拡大するためには更なる外界が必要であり、そのためには宇宙を引き合いに出さねば「地球人」という肉感は生じてこない
地球人を更にすすめると「太陽系人」とか「銀河系人」とかにまで拡大されて、なんというかスタートレックな雰囲気の漂うSFへと話題が拡張される
が、それでさえも銀河系の外を意識しての話だ
「銀河系人」を肉感するためには、たとえば「大マゼラン銀河人」という外界の存在がなければなければなるまい
そうゆう点では「オラが村の田んぼに良い水を引き込むために、鋤鍬を携えて隣村の次郎吉たちとやりあう」という意識とさほどの差はない
仏教における悟りの意識を指す言葉に「梵我一如」というのがある
梵とは「宇宙とか世界」とかいう意味
我とは読んで字の如く「自分」のコト
一如とは「一緒みたいなモノ」ってコト
自己の輪郭を無制限に拡大していった涯てに、「自分と宇宙とは一緒である」という感覚に至る…
アジアンなトコで輪郭の拡大が止まっちゃってるワタシにはまだまだ先が長そうだ
と、同時に、コドモの頃にニュースを見ていて納得がいかなかったコトバを思い出す
「なお、この事故に日本人は含まれていないとのコトです」
「え、なに? 日本人が含まれてなければ良いじゃんってコト? 外人が死んだってだけだから安心してねってコト?」と、理屈っぽいコドモだった鼻ったらしのワタシは、そうゆう報道の一言に一々突っ込むイヤなタイプだった
今のワタシにもその意識はちゃんと残留してはいる
してはいるが、「日本人は含まれてはいない」という言葉に安堵を覚えたりするコトも確かだ
あの時のワタシと今のワタシ…
きっとその意識の違いは「何ものも自分のモノでなかったが故に、全てが自分のモノと等しかった」というトコロから生じるのだろう
現実の世界に自らのチカラで立脚し、この世に生きれば生きるほど、この世界の塵芥にまみれればまみれるほど、ワタシたちはこの世界というヤツに深い愛憎を抱く
それ故にこの世界の幾分かがワタシのモノとなり、それが「幾分か」であるが故に有限を生じる
無垢なる赤子こそが、世界の全てと存在を一にする「最も至純なる存在」と言えるのかもしれない
中国の古典「荘子」の「応帝王篇」に記された、のっぺらぼうの「混沌」が、耳目を得てしまうコトで世界を感得できなくなってしまうのを想起させられる
ワタシは自分の輪郭をドコまで拡大できるだろうか、あるいは輪郭自体を失くせるだろうか…
コメント
さすがは過去の奴隷制度に乗っ取り雪ダルマという偶像を作らせ、モーゼのように貝のような木刀で夜中にぶったぎった過去を持つだけある…
果たしてあの奴隷達は偶像の脆さを知ったのか…
って事今晩わ(^o^ゞ
>あ太郎サマ
はじめまして、ようこそです
こんな、知ってるヒトしか知らないようなコメントするってコトは、かなり特定されちゃいそうなお客サマですww
最近は暖冬の影響か、大きめの雪ダルマもつくれませんねぇ
宮本武蔵が巌流・佐々木小次郎とやりあった時に持ってた櫂型木刀「風林火山」は、今もワタシの枕頭にあります
木刀としては破格の重量があるので、僧房筋、上腕二等・三等筋、前腕伸筋群の鍛錬に加えて瞬発的な手首の締めと強靭な握力が必要です
コレを全力で振り切って、止めたいトコで確実にピタリと止められるようにならないとダメなんですケド、今はもう筋肉おとしてる最中だから、振り切れても止められないかなぁ…
キレイに振り切れると、雪ダルマなんざ、さっくりと縦に割れますぜww
ロビン様
それはそれは…
同じカマの飯を食ったと言いますか、表現の仕方は沢山ありますが、それは置いといて…
未だに伝家の宝刀を隠し持っているとは、何とも懐かしい
一体何をどれだけ切り裂いたものやら…
血に飢えている木刀である事は言わずもがな。
是非とも大切にして、寸止めならずに切り抜いて下さいな
またどこかでこっそり逢瀬しましょうね
>あ太郎サマ
いぇいぇ、さんざんチカラ一杯に振り抜いた剛刀ではありますケド、いまだ血を吸わせたコトはないですょww
昔アニキだった頃、検問で職質された時、目ざといおまわりさんがリアシートの剛刀「風林火山」を見つけちゃって、職場に確認の連絡入れられちゃったコトがありました
「なんでこんなモノ積んでるのかな、キミ?」って言われて、とっさに「っと、剣道部の顧問やってるんで、ウチ帰ってからも素振りするからっす」って返したのは天才的な言い逃れだと自惚れましたw
翌日、教頭の海老ちゃんからこっぴどく叱られたのは、ワタシたちだけの内緒のハナシですょ
ろびんちゃん
とっさの言い訳って、実は物凄い説得力が無い事がほとんどで…
まさに、あっちあっち事件にも通じる、苦し紛れのパープリン発言でつよね…
しかも初代海老ちゃんにしばかれただなんて、そんな幸せ感じるハッピータイムをマン喫していたんですね!!
海老ちゃんったら今なら、海老蔵かくらいの問題っすよ姐さん!
羨ましい!
買ってでもしばかれたい今日この頃。