オトナの思惑と、ソレに平気で便乗できるコドモ

昨夜、亀田大毅が世界タイトルを奪取した

(←大毅が着けてた特大山伏数珠w 1.65mで\22,300也 ちょっとだけ欲しいぜww)

そのコトそれ自体に、さほどの関心はない

ただ、あの「亀田3兄弟」と呼ばれる連中の在りようや、それを取り巻くオトナどもの在りようというヤツには、以前から吐き気をもよおす程の不快を覚える

そのコトにまつわる「ごく観念的な事々」を、つらつらと書く

コドモは、決して自らの意思でこの世界に生まれ出でてくるモノではない

どんなコドモも、別にこの世界に生まれたくてこの世界に生じてくるワケではない

コドモは全て、その親の「エゴの発露」としてこの世界に生じる

全てのコドモは、そのコドモ発生以前の、オトナどもの身勝手な欲求の結果として世に生じる

全てのオトナが全てのコドモに対して、そうゆう「拭いがたい後ろめたさ」を痛感しなければならぬ理由は、その一点にこそある

にもかかわらず、オトナという連中はコドモに対してあまりにも無自覚だ

オトナは一体どんなつもりで、コドモと向かい合っているのか

いったい何故、コドモの発生を望むのか

自らの老後の安泰のための保険か

果たせなかった己が夢を実現するための代償行為か

それとも単に、性欲の発露の結果生じた排泄物のごときモノか

真に愛おしい存在と共にあれれば、それで充分に満足であろうハズのものを、更にその上、何らかの存在の発生を望むという欲深さは何だ

愛おしい存在とただ仲良くありたいという、ほんのそれだけのコトすら望めぬ者も多いというのに、そのうえ一体何が欲しいと言うのか

これを強欲と呼ばずして何をそう呼ぶのか

まして、結果として新たに生じてくる「コドモ」という存在は、独立した自我を持つ「個」だ

その独立性は、尊重されねばならぬモノだ

何人も侵すべからざるモノだ

たとえ血肉を分けた親兄弟であろうとも、不純な思惑によってそのコドモの独立性を侵した時点で、罪を負うというコトをオトナどもは痛感するべきだ

独立した「個」としての人格を、私情や思惑によって歪めてしまうというコトは、一人のヒトを殺すコトと同義である

しかしながらコドモは、教育されねば真に「ヒト」とはならぬ

教育されぬコドモは、野に在る「ケモノ」と何ら変わらぬモノである

では、コドモをヒトたらしめるべき教育とは、如何にあらねばならぬか

コドモは、オトナのために在るわけではない

コドモは、その先の未来に「不本意ながら生じてくるかも知れぬ」コドモたちのためにのみ在る

故に教育は、オトナのエゴの発露であってはならない

「仁」…他者を思いやり憐れむ心
「義」…不善を恥じ憎む心
「礼」…他者の存在を認め尊重する心
「智」…正邪を正しく判断する純粋な心

コドモに施すべき教育とは、この4つを教えるコトで足る

ヒトに優しく、正しからざる行いを羞じ、他者の存在を認め尊重し、透徹した視点に立って物事を正しく判断できるコト… 「横綱の品位とは何か?」と問われて口ごもる様なら、これを言えば良い

ヒト足るに、これ以上のモノは不要だ

これ以外の「信」も「忠」も「孝」も「悌」もいらぬ

オトナとして、コドモに望んでも良いコトとはそれだけだ

オトナとして、コドモに施して良い教育とはそれだけで良い

あとはすべて余事であって、仮に何かを教えたとしても「この世を生きていく上での術」としての「技術」くらいで良い

ヘタに忠だの孝だのを教えるべきではない

世が停頓した時、オトナはコドモによって屠られ得るコトを、甘受せねばならぬ存在だからだ

「屠る側のコドモに躊躇いを抱かせるコトはより少なくあれかし」と努めるコトが、コドモを世に産み落としてしまった側がせめて死に際にとるべき贖罪の姿勢だ

にもかかわらず、昨今のこの国の親子の在りようとはどうか

親は妙な思惑をもってコドモを操作してはいないか

コドモもコドモで、オトナの思惑を知ってか知らずか安んじてその思惑に便乗し、時に嬉々とした表情すら浮かべて踊ってはいないか

それが彼ら親子の望むしあわせか

猿回しと猿を、血肉を分けた親子で演じるコトが、彼らのしあわせか

コドモを良いように操作するその裏で、体良くそろばんを弾いていたり、己の夢の身代わりをコドモに見出したり、己の夢に描いた幸福像を構成するアクセサリとしてコドモを扱っているオトナはいないか

オトナの思惑を見透かすコトもできぬ、愚かなままのコドモはいないか

オトナの思惑を見透かしつつもソレに迎合し、適当にうまくやるコトを覚えたコドモはいないか

そうして振舞っているコトを、「孝」だか何かとはき違えているコドモはいないか

コドモはオトナの人形ではない

コドモはオトナの人形に甘んじているべきではない

この記事を目にした親と呼ばれる者どもに、ワタシは宣戦を布告する

この記事を目にした親と呼ばれる者どもを、敢えてワタシは次の言葉で挑発する

どんな高邁な理想を述べようと、そんなモノで男の陽根が奮発するまいが

どれほど生命の光輝をその舌が弄そうと、そんなモノで男の陽根が奮発するまいが

そして陽根が奮発せねば、コドモのタネが体外に排出されるコトなどあるまいが

その奮発は、説くところの理想から生まれたか

その奮発は、生命の光輝を実感するトコロから生じたか

タネを吐き出した時のコトでも想い返すがいい

不潔な汗と体液にまみれてそれを吐き出した時の愉悦は、左様に高邁なモノに裏づけられていたか

そしてどうか、「ヒトは性欲の高まりの結果ひり出される排泄物と同じだ」と述べるワタシを論破してくれるコトを願う

この記事を目にしたコドモよ、オトナどもの思惑を見透かす賢さと、その思惑を振り払うだけの胆力を育め

この記事を目にしたコドモよ、オトナどもの手前勝手な思惑を無視し、縛鎖を引きちぎり、痛快なほどに裏切って見せてみろ

この記事を目にしたコドモよ、オトナどもから勝手たれ

この記事を目にしたコドモよ、「己が在りたい」ように在れ

この記事を目にしたオトナよ、コドモが在りたいように在らしめるための良き向かい風たれ

そしてコドモよ、この世界はお前たちが産み落としてしまうかも知れぬ「これからのコドモら」のためにのみ在るコトを忘れるな

未だオトナになりきれぬかつてのコドモとして、衷心より願う

<吉田拓郎:子供に>

コメント

  1. あ太郎 より:

    なるほど…
    激しいながらも、一理ありますな…
    そう感じてしまう俺ガイル…
    昨今の日本のバラエティー番組にはズバズバ物申す輩が持て囃される時代でして、もしかすると”自由”を与えられた結果、心の路頭に迷ってしまったが故の民が多くいるように思います。
    いざ”自由”を与えられると、意外と何からやればいいのかわからなかったり…
    多少誰かの言う事を聞いてる方が楽だったり…
    選択肢が多い事がいい
    みたいな世相の情報過多世の中、果して選択肢が多い事が幸せとは思えない自分もいたりします。
    選べる楽しみもあるでしょうが、ある程度まとめられた1つのレールに乗り、積み重ねる美学と言うか、そんな感覚が現代には薄いキモス。
    離婚も多い理由も多々ありますが、あまりにも個人の自由を主張しすぎた結果かと思う時もある。
    上手くまとまったかな?

  2. ロビンちゃん より:

    >あ太郎サマ
    オトナの思惑ってヤツにまんまと乗って、本当はどう在りたかったのかすら自覚できないような者は、ソコまでの奴なのだと思うのです
    「人生自体がきちがいじみているとしたら、では一体、本当の狂気とは何か? 本当の狂気とは。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。だが、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。」
    ってゆうのは、セルバンテスってヒトのコトバだそうですケド、そんな気概を持たないまま生きてるヒトに向けた挑発です
    同時に、「コドモを己が思惑の鳥籠に飼っている」というコトに無自覚なままのオトナへの挑発であり警句です
    チビッコを、のんべんだらりんとさせてやれってゆう意図ではないのです
    その辺、うまく伝わらなかったかな?
    ので、ちょっと加筆しておきました

  3. 東洋 より:

    難しい事は言えないけど・・・
    亀田一家は大嫌いでし・・・
    んでもって、TBSはもっと嫌い!

  4. ビバメヒ より:

    いざ問わむ。体外受精は快楽を伴うや否や。

  5. ロビンちゃん より:

    >東洋サマ
    亀田は最初っから受付けなかったんだケド、辰吉は飲み込めるんだ
    コレってなんでだろって、自分でも最初うまく説明できなかったのね
    でも最近になって判ったような気がするんだ
    亀田も辰吉も、どっちもコドモの頃から親父にボクシング仕込まれてボクサーをやってるのね
    でも、辰吉はもう親父さんが他界しちゃってるせいもあるんだろうケド、親ばなれできた上でボクシングやってるんじゃないかな
    亀田ってさ、親父もコドモらも、どっちも親離れも子離れもできてない臭いが濃厚に漂ってるんだょね
    ソコが決定的に嫌悪感をそそるんだ
    「おまえらどっちもいい年した独りのヒトなんだから(ともきはまだ中卒くらいだけどw)、そろそろ家族なんてもんから脱却して、自分ってのがどう在りたいのかってコトを自分の脳みそと身体を駆使して見っけなょ!」ってね、我がコトの様に腹立たしくなるんだ
    つまりね、あいつらって、ウチの親父とあたしや弟みたいなんだ
    だからキライなんだろうね
    ん~、アンビバレンツww

  6. ロビンちゃん より:

    >ビバ☆メヒコさま
    精子を採取する際は、本人または奥さまの尽力等により採取するそうですww
    自宅から持っていっても良いそうですケド、鮮度が命なのでクール宅急便で…いぁいぁ、病院の個室でビデオや雑誌などの援けを借りて行うのが最良だそうですょ
    ちなみに看護士さんは手伝ってくれないそうです
    調べてたらセックスボランティアとか、色んなのがヒットして、独りでにやにやしてる自分に気づいた深夜3時でしたぜ、フッ…
    というワケで、注射器ブチ込んでチューって吸いだされるんじゃないんですから、コレも快楽の産物です
    ってかさ、結局オトナが望まぬ限りコドモは生じぬワケだから、やっぱりオトナのエゴの産物ってゆう点で決定的なんじゃないかと…w

  7. ビバメヒ より:

     妊娠するって「システム」だから、そこに
    意味を見つけようとするのは、哲学ではある
    けど、難しいと思う。それぞれの感じ方だから、あまり挑発的にならないほうが・・・。
     「砂糖を口に入れられたら何故甘いか」とか「愛する人が死んだら何故悲しいか」と同様、「仕方がないけど仕方がある」にいきつくのではないでしょうか。
     言わんとすることは、よく分かるんだけどね。この議論は、戦争に参加せず戦争を語っている様な上滑りな感じがする。それは仕方がないんだけど。分かっちゃいるけどやめられない、という真理なんだと思うけどね。

  8. ロビンちゃん より:

    >ビバ☆メヒコさま
    ハナったらしの頃、この手の話題を振ると、「そうゆう話は親になってからしな」とよく言われたモノでした
    おんなじ土俵に立った上で、今とおんなじコトが言えたら、そん時こそ受けて立ってやるょ…みたいな気分なのかな
    もはやわたしにはコドモなど作れないボディなので、予測でしかありませんケド、ワタシがヒトの子の親などになったら、ホントにただの親バカ…ってゆうかバカ親になるだろうと思います
    コドモが生まれたら、ぜったい自分だけで教えたかったりしますもん
    15くらいまでは完全に自分だけで育てて、テレビもマンガも図鑑も見せないのww
    で、「世の中には象ってゆう巨大な生物がいてな、鼻が異様に長くて、鼻でモノを取って食べるコトができるんだ」なんて、文字だけで教えておいてから、高校入学のお祝いに動物園に連れて行ってやるのw
    きっと世界が新鮮に感じられるんじゃないかなぁ…などと、もはや叶わぬコトを夢想するオカマですぜ
    もしワタシがオンナで、あの方が望まれたなら、きっとあの方の子供を産んで大切に育てたコトでしょうにね
    フッ…

  9. ロビンちゃん より:

    >閲覧者各位
    今回の記事、大きく分けて2つの主張を含んでいて、どの辺りに話題を置くかでも舌の上に乗りやすいか否かが分かれる記事ですね
    ワタシの内では不可分な事々なので、あえて一つの記事としましたが、一つには「オトナの打算の薄汚さと、コドモも無批判性への皮肉」、もう一つが「この世にヒトを生じさせる上で、オトナが背負わねばならぬ罪悪感」とでもなるのでしょうか
    前者の話題は、それなりに語りやすい話題になろうかとも思いましたし、話題の導入としての亀田親子は良い素材だと思っています
    対して後者の話題は、特にソレを語る上での自らの旗幟を鮮明にしなければならず、語りにくい内容ではありますょね
    でもね、ソレはあえて解かった上で、それでも「答えを出してもいない様なヤツが、勢いで安易にコドモなんかつくるんじゃねぇっ!!」って、叫びたかったのです
    コドモが長じて「なんでこんな苦しく辛い世界に自分を産んだのか」と問いかけてきた時、答えに窮する様なヤツは親になる資格なんかないんだと今でも強く思っていますし、そういった心境をコドモに抱かせるようなヤツは親としての機能を果たしていないのだとも思っています

  10. ロビンちゃん より:

    ↑のつづきです
    ヒトが責任を持てるのはそのヒト本人の命と生きざまだけです
    血肉を分けた肉親であろうとも、コドモの命や生き方を負ってやるコトは叶いませんし、するべきでもありません
    そうゆう「自分では最終的に責任を負ってやれないような存在」を、敢えてわざわざこの世界に発生させておいて、にもかかわらず、このくそったれな世界はそれでも美しく生きるに足るトコロだという答えもヒントも環境も提供しえない… そうゆう親をワタシは甚だ憎みます
    自らに何ら責任のない犬や猫を拾ってきて育てるのにだって、かなりの熟考と覚悟がいるのです
    まして恣意的選択として、「自分では責任を負いかねる生命を発生させる」のですから、我が子に不遇や空虚を感じさせるような不安がわずかでもあるのなら、コレを諌めるべきだと思っています
    この世界を心底から素晴しいのだと「言いきれない」ヤツは、その素晴しさを「きちんと説明できない」ヤツは、ヒトの子の親なんかになるんじゃない
    既に親となった方々は、きっとそうではないと信じたいし、これから親となるヒトには必ずそうならずににいて欲しい
    ウンコは流せばドコかへ流れていって酵素分解されるだけですケド、ヒトってのには心があってね、たとえ流して棄てても、すぐには分解されず怨念を宿したりするのですから…

  11. ビバメヒ より:

     自分に降りかかる諸々の不幸や社会への不整備に対し、それを親の責任に転嫁するのは容易い。「お願いして生まれてきた訳じゃないし」は真実でもあるけど、「お願いもしないのに、生み出してもらえた」とも考えられない?
     親にとって、子どもはどんなに不細工で不出来でも、可愛いし大切。そう言う親がほとんどだと思う。確かに、つらい生を与えられる子どももいる。それは例外じゃないかなって思う。例外を典型の様に論じてるんじゃないかな?
     想像するに難くない生きづらさが君にはあると思う。そこから生じた君にとっての「親観」「子供観」は、それはそう考えるのは自由なんだけど、普遍的でない。一人でも生きづらく感じてしまう社会の未熟は問題なんだけど、親の責任論や、親の打算云々は飛躍しすぎている感が否めないなぁ。
     私は、親は嫌いだけど、感謝はしてる。親と行動すると恥ずかしいけど、大切には思っている。どうしようもない親父で、近所で孤立していても、その尻ぬぐいは当たり前だと思ってしている。確かに、血のつながりを恨むことも多々あるけど。
     私も、無秩序に子供を作るのには反対ですよ。私は、子どものために、彼がニートになっても住む家くらいはあるように、家を買ってやる。また、それ以前に、ニート化しない様に、しっかり仕込む。

  12. 梅ちゃん より:

    こんばんは~
    最初、誰もここにコメント入れてない時に一回来て、何を書いていいかわからないまま戻りました。
    だけど今日またここに来てみて、ここまで読んでね、
    >>親は嫌いだけど、感謝はしてる。
    この言葉を聞いてね、ちょっと涙がでたよ^^
    人はたくさんの主語動詞述語を聞いてみないと、本当の心の中がなかなか見えない
    今ね、そんなことでまた迷っているよ(笑)
    人をね 信じたい心と闘ってる
    なんだかこれを読んで、ほっこりしました。
    ありがと*(^ω^@)

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