ひとつの世界が終焉を迎えるにあたって

<2022/09/25追加 信長の野望online:花火色>

世界の中に在るコトで自他を相対化し、己の輪郭を形作るのがヒトの在りようだ

他者の在りようを見、己の在りようを比べ、同じトコロ・違うトコロを確かめながら「己とは何か」という成分を見出し、特質化して自己を形成する… それがヒトだ

それゆえ「世界の中に在って、初めてヒトはヒトとなる」

そんな世界の終わりが来る時にも「きっと一緒にその終焉の刻を迎えよう」と、互いに誓いあったヒトがいた

3月23日午前9:30、そのヒトと出逢い、ほんの短いひとときを過ごした仮想世界が終わりを迎える

仮想ではあったが、確かにソコには世界が在った

その場所でワタシは様々なヒトたちに出逢い、惹かれ、愛し、愛され、憎まれ、哀しみ、哀しませ、別れ、生み出し、壊した

ソコでの出来事は現実の世界にまで余波を及ぼし、ときに現実すらをも凌駕した

あの場所で起きた多くの事々によって、現在の「現実のワタシ」の輪郭の、その非常に大きな部分が形成され成立しているという動かしがたい事実がある以上、たとえそれが狭小で、特殊化され、虚構の上に成立したモノであるという前提があるにせよ、「あの場所は確かにひとつの『世界』だったのだ」と、ワタシは言い切る

ドコの誰がどんな言葉で否定しようとも、あれは確かに「世界」なのだ

あの場所には、多くのヒトびとが確かに「実在」し、互いに隔絶することなく関わりあう「社会」を形成していたのだから

その「世界」が、もう間もなく失われる

ワタシをオンナとして育み成立させたひとつの世界が失われ、また新しい別のモノとなって再生する

愛おしく、呪わしく、望郷し、忌避する… ワタシにとって、そうゆう意味を持つ世界がまもなく失われる

いつかは赦され、還るコトを願っていた場所… それが終わる

誓いあったあのヒトに寄り添いながら、あの世界の最後の刻を共に迎えるハズだった

仮にそうしてあの世界が終わってしまったとしても、また違う別の世界で、再び共に時を送るハズだった

そうやって、いつまでもずっと、生まれかわった来世でもずっと、共にその傍らに在り続けると誓いあった… その、ワタシの還るべき場所も、還るべき胸も、永遠に失われる

永遠に循環するハズの楽園は途絶え、途切れた輪の一端が再び輪を結ぶなどというコトも、もはやない

途絶し、行き場を失った「届けるべき想い」は、虚無の彼方へと還るだけだ

あとには、もはや意味をなさない嗚咽と咆哮だけが虚しく響くだけだ

そして更にそのあとには「終わって消え果て、後には何も残らぬにもかかわらず、なにゆえこの世は在り、なにゆえ己はココに在るのか」という、問うても仕方のない呪詛と悔恨だけが、ヒトの耳を煩わせるのみだ

あの方の腕の中にきつく抱きしめられ、ワタシがあの方にとってちゃんと意味があったあの瞬間に、突如世界が終焉を迎えていたなら、きっとワタシは、この世界に生じたコトの悦びに満たされながら消え去るコトができただろう

むしろ甘んじて消え去っただろう

たとえその先には虚無しかないのだと解かっていても…

<UA ううあ:椰子の実>

コメント

  1. ビバメヒ より:

     ネット内の、君にとって意味のあった一つのコミュニティーがなくなるってことかな?
     そこで君の自己実現が生まれたのだから、実家が取り壊されてしまう様な寂しさ、「ビフォーアフター」の原型をとどめないリフォーム的な空虚感?
     
     あの番組見ていて思うのは、あそこまで老朽化していれば立て替えの方が絶対に安いし粋に行く。それをあえてリフォームって事は、テレビ的な部分もあろうが、家主のこだわりかなぁ。気持ちは分かるけど、見ていて痛々しい。
     私自身、今家造りをしてるからそう思うのかも知れないけど。完成したら、京都の仲間を招待して、と思ってる。今年中には完成させたいなぁ。

  2. ロビンちゃん より:

    >ビバ☆メヒコさま
    地縛霊って言葉があるでしょ
    あたし、きっとあの世界ではそうゆう存在になっちゃってたのかもしれません
    いろんなコトがあって、愛憎入り交じった感情をソコで昇華しきる前に突然事切れてしまうと、情念は怨念となって、生前こ拘泥していたヒトやモノや場所なんかに留まっちゃう…そうゆう気持ちがなんとなく理解できるような気がします
    なにかに拘泥するからこそ人間らしいとも思えるんですケド、そのこだわりは、生きてるうちにキッチリ昇華しておきたいものですね
    死に際して「無念」とか「残念」という言葉が日本にはありますケド、これこそがそうゆうコトを如実に物語っているような気がします
    何かにつけてヒトは「念」を残しやすいからこそ、念を残すまいという気持ちの顕れとしての「無念」や、「念」が残っちゃうなぁという気持ちの顕れとしての「残念」という言葉があるのでしょう
    そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない。 ほんの瞬間にせよ眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。 そして、あとには真っ白な灰だけが残る…。 燃えかすなんか残りやしない… 真っ白な灰だけだ。
    ってなカンジで生ききれれば良いんですケド、なかなか難しいモノですねぇ…
    追伸
    新しいおうち、完成が楽しみですね
    新築祝いでみんなが集まったら、まずはおうちのそこいらじゅうに記念の足型とか手形、柱に背比べのキズとかいろいろさせていただきます
    いちばん危なっかしそうなのは、やっぱり長州のなまぐさ坊主かなぁww
    たのしみ~

  3. ぼよよん より:

    わかるような、わからないようなカンジです。
    カタチは無くなっても、想いはそこから動くことなく残ると思うし。逆に気持ちは死んでるのに、カタチだけは存在することもできるし・・・・
    不死鳥は自分の体を焼いて灰の中から また生まれるんだよね(たしか^^;)
    記憶って、忘れるって
    何かなぁ~~って、考えてしまう記事でした。
    (抽象的過ぎたコメでごめんね;;)

  4. ヒバメヒ より:

    長州のナマグサに生臭い臭いを付けられ、君に寝臭さを付けられ、牛魔王に角で壁を削られ、豊中の小鳥を集め最上川。みんな来てくれたら良いな。

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