臆病で脆弱な自己を守るため、ヒトは自己の周囲に防壁を築き上げる
高く堅固な防壁を自己の周囲に巡らせるコトで、その内にある自己を安んじる
そうやって壁を築いておいて、防壁の向こう側にいる他者を、自己の存在を脅かす「敵対的存在」と捉える
防壁に接近してくる他者を疑い、恐れ、何らかの手段があればそれを遠ざけようと試みる
確かに多くの場合、ヒトは利己的な存在だから、壁の向こうの他者が自分にとって友好的存在であるコトは稀だ
それゆえ、他者を安易に信用するべきではない
無警戒に他者の接近を許容するのは、よほどの馬鹿か、甘ちゃん、あるいは自分に自信のある者だろう
しかし、だからと言って友好的な存在がまったく存在しないというワケでもない
押し付けがましい程に防壁の内側へと踏み込んで来てくれるような「おせっかいな親切者」も、まんざらいないワケでもない
だがしかし、最終的にそういった親切者どもと共感しあうために必要なのは、自己が築き上げた防塁を、あえて自らの手で打ち破って外界に踏み出そうとする「蛮勇にも近い覚悟」だ
更に言えば、自ら手をさし伸ばして他者と繋がろうとする心だ
自分にとってあるいは敵となるかもしれぬ「他者」という存在を、それでも求めようとする、哀切なほどに素直な心だ
怖くて痛くて哀しいコトもぜんぶ覚悟した上で、それでも誰かと繋がろうと壁を打破し手を差しのばした時、ヒトはほんの少しだけ、孤独感や疎外感から解き放たれる一瞬を持つのだろう
壁の内に篭り、自分にとって都合の良い他者の出現を「ただモノ欲しそうに待ち続けるだけ」の甘えた心情の持ち主に、救済の瞬間が訪れるコトはない
否、「ない」とは言わぬ
しかし、仮にそんな奇跡的出来事が起こったとしても、そうやって安易に手に入れた「繋がり」など、所詮はイミテーションだ
そうゆう甘えた心情の持ち主は、自己が救われるコトは浅ましい程に求めるクセに、誰かを自分から救おうとするコトには極めて消極的だから…
互いに求め合い、救いあう
「相手はともかく、少なくとも自分だけでもそうあろう」と心掛ける者にだけ、それでもごくごく稀に、孤独の壁が打ち砕かれる瞬間が訪れるのだろう
まぁつまりだ、テメェのことしか「見ていない」あるいは「見えてない」ようなヤツに、本当の意味での「共生」なんざ得られっこない
そう言いたかった
自己否定なんかしているヒマがあったら、身を投げうってでも今スグ救わねばならない誰かを探せ
誰かと共に生きるっていうコトは、つまるトコロそういうコトだ
甘ったれるんじゃねぇ
コメント
きついよ・・
痛い。