泣きたいのはコッチの方だ

寒風の中、ひとりぽつんと公園のベンチに座って、昼飯の焼魚弁当を喰ってる「普通のおっさん・おばさん」ってのをなめちゃぁイケないぜ

普通のおっさん・おばさんってのは、べつに他人サマより秀でた数値や機能、能力を持ってるワケじゃない(持ってる場合もあるケドw)

それでもだからって、のべつまくなし弱音を吐いたり、自分を理解してくれない周囲に悪態をついたり、わめき散らして自己否定してみたり、消えたがったり(するそぶり)なんざしないのだ

ちょっとばかり他人サマよりも秀でた能力や機能、数値なんぞを持ってるヤツに限って、そんな儚く脆く危ういモノを、まるで「代えがたい宝物」みたいに後生大事に抱え、決してソレを放したがらない

ソレからちょっとでも遠ざかるコトを、危急存亡の一大事であるかのようにわめきたてて大騒ぎをする

そんな、数値や機能、能力などというモノに、自己のレゾンデートルを求めるコト自体、愚かなのだ

数値や機能、能力などというモノに立脚した自己像というは、それ以上の数値・それ以上の機能・それ以上の能力が出現するコトで、あまりにも脆く瓦解する

むしろそんなモノとは、とっとと訣別しておくべきなのだ

そういう事はせいぜい、10代あたりで気付いておかねばならない(ワタシは20代半ばだったケド…w)

むしろ、ヒトに秀でた能力など持たない並みの者、あるいはヒトに劣った能力しか持たぬ者の方が、そういうコトに早く気付ける

学生たちを見るがいい

「学校」と言う特殊化した狭い社会が、この世の天地の全てであるかのように錯覚している彼ら(最近の若造どもはそうでもないかなw)にあっては、学力・運動能力・芸能の才、やや下がってせいぜい容姿やおちゃらけの才くらいでしか、自己の特化を自他に認識させるコトができぬ

そういう、せいぜい4つか5つくらいの特化項目のいずれにも該当せぬ者は、「並み」あるいは「劣」として自己を認識せねばならず、周囲もそう認識するしか手立てがない

であるならば、「並み」や「劣」の者はその後、死ぬまで「他人サマよりも劣った者」という劣等感の中で生きねばならぬか?

否、決してそうではあるまい

むしろ連中は、そういう呪縛から早々に解放されて、ずいぶんと自由な在りようではないか

連中は、そういう「目に見えて解りやすいコト」にだけ、自己を規定する要素を見出すというコトを、早い時期に放棄してしまっているからだ

そんなモノにとらわれるココロを、とうの昔に棄ててしまったが故の自由なのだ

そんなモノなどなくても、ちゃんと社会化できていれば、己の存在を「他者との関係性」の中で意義付けできるというコトを、体感を通して知っているからだ

夫として、妻として、父として、母として、友として、恋人として、先輩として、後輩として、上司として、部下として、同僚として、自己を取り巻く他者と意義深くつながるというコトがそのカギだ

ちょっとばかり「他人に秀でて何かができるコトが、自己規定の大きな部分を占める」などと口走る連中というのは、「たかだかかけっこが速いってだけで得意満面になれて、周囲からもチヤホヤされ得た小学生」だった時の気分が抜けていない… そう、「タダのガキ」でしかない

中坊や高坊ならまだしも、いいトシこいたおっさんやおばさんやオカマが、そんな妄執にとらわれているとしたら、ソレははなはだ恥ずかしいコトなのだと知れ

そういう気分と訣別して「いっぱしのオトナ」ってヤツになるためには、他人より速く走れるその脚を失ってみるコトだ

他人より優れた腕を、指を、舌を、頭脳を、あらゆる機能を失ってみるコトだ

自分を「人並み」か、それよりも「劣る者」として再構築してみるコトだ

後生大事にしてる、その腕だの脚だのなんざ、スッパリと棄てっちまえょ

腕を失った画家を見ろ

脚を失ったアスリートを見ろ

彼らは絶望的とも言える無明の淵にありながら、それでも己の内から沸き起こる衝動に衝き動かされて描くではないか

欠損した脚を必死に奮い、それでも走り跳ぶではないか

他人に秀でた能力なんぞに自己規定の根幹を置いているうちは、そういう境地には決して至れない

結局のところ「他人に秀でた自分」しか愛していない者などに、他者を愛しいたわるコトなどできはしない

深く愛し慈しんだハズの父・母からも絶縁され、兄弟・親族からも絶縁され、伴侶も失い、友も失い、職も失い、収入も失い、明日の我が身すら知れぬ者が、それにもかかわらず、血も繋がらず顔も声も知れぬ「遠き回線の彼方に住む、己以外の誰か」の幸せを祈る心情など、そういう者には決して理解できまい

自己を取り巻くあらゆるヒトビトから孤絶し、何者とも無縁となった放浪者が、絶望的な心情に心を占められながら、どれほど痛切な状況下でコトバのひとつひとつを搾り出し、ソレを届けようとしているか… それを想うコトすらもできぬだろう

「並み以下の存在」に堕ちた己をすら、慈しみ愛してくれる… そんな者こそが、何者にも代えがたい至宝の存在なのだと知らねばならぬ

急ぎ駆けつけて救わねばならぬ者がいるとすれば、そういう「愚かなる無私の者たち」こそが、その第一なのだと知れ

まったく、どいつもこいつも、結局のところテメェのコトしか見ちゃいない

構ってほしい時だけは、さんざん「助けて」みたいな救助信号を出す

助けて欲しいのは… ちったぁ救われたいってのはコッチの方だってのに、まったく…w

いったい誰が、ワタシを助けに来てくれたか

いったい誰が、本気でワタシの明日を案じてくれたか

あの時の、あの方だけだ

だから、少し前の記事で言ったコトバを、もう一度ココに刻む

愛しているが故に、あえてキツい言葉をココに刻む


そういう甘えた心情の持ち主は、自己が救われるコトは浅ましい程に求めるクセに、誰かを自分から救おうとするコトには極めて消極的だから…

互いに求め合い、救いあう

「相手はともかく、少なくとも自分だけでもそうあろう」と心掛ける者にだけ、それでもごくごく稀に、孤独の壁が打ち砕かれる瞬間が訪れるのだろう

まぁつまりだ、テメェのことしか「見ていない」あるいは「見えてない」ようなヤツに、本当の意味での「共生」なんざ得られっこない

そう言いたかった

自己否定なんかしているヒマがあったら、身を投げうってでも今スグ救わねばならない誰かを探せ

誰かと共に生きるっていうコトは、つまるトコロそういうコトだ

甘ったれるんじゃねぇ


今日は、かつてのワタシが死んだ日

そして、みづきすずねの生まれた日

更に言えば、このブログの立ち上げ2年目の日だったのだ

ホントはもっともっと湿っぽい記事をアゲて、それでヒトサマからの同情を得る計画のハズ… だったんだぜ、まったくょぅ…

とにかくだ、元気を失くしちまってるキミたちに届けとばかり、気持ちをなんとかふりしぼって、急いで動画をいっこアゲたんだ(2022年10月現在アカウント停止により視聴不可)

この歌↓でも聴いて、はやくゆっくりで良いから少しずつ、元気になりやがれ

この歌に散りばめられたキラキラと光る言葉たち… それと同じ響きを持つ想いを、かつてワタシはあの方から受け取ったのだ

今度はそれをワタシが、「あの方」ではないキミたちに向けて届けよう

そして、いつの日かキミが元気になったなら、今度はキミが、「ワタシ以外の」救わねばならぬ誰かのために、この歌を手渡してやってくれ

後のコトは、た…頼んだぜ、皆の衆… ガクッw

<サンボマスター:新しく光れ>

コメント

  1. なな より:

    また、同だったね。
    こんなこと書いたら100文字怒るでしょ?
    ごめんなさい。
    私が悪いんだ、要するに。
    特別な日だったんだ。
    頼むよ。
    ここは消さないから
    そっとしてて。
    わかった?
    そっとだよ。
    ななは
    心配はいらない。
    気になるなら
    見に来ないで。
    言い負かしたくてしょうがないなら別なとこで。
    お願い。
    いい?
    お願いだよ。
    物凄く辛いんだよ。

  2. >なな
    キミを言い負かしたかったワケでも、批判したかったワケでもないんだょ
    ワタシがココで書きたかったコトは、記事のタイトルにもあるように「泣きたいのはコッチの方だ」というコトだけだょ
    想いを届けたくても届けられない
    想いを届けようにも誰とも繋がっていない
    そんな誰とも繋がっていないひとりぼっちのニンゲンでもさ、なんとかやせ我慢して、キミや、キミ以外のヒトビトに想いを届けようとして、不器用に足掻いてるんだ
    伝わるかな… ワタシはずっと、やせ我慢をしてるんだょ
    「援けて欲しい」って叫びたいのは、「もうなんもかんもぶっ壊して終わりにしちゃいたい」って叫びたいのは、大声あげて泣き出したいのは、むしろワタシの方なんだょ
    ソレを言わずに、胸の内に堆積する怨念を濾過して、ようやく搾り出した至純の一滴を、誰かに届けようとしてるんだ
    それでも誰にも届かないんだょ
    誰にも響かないんだょ
    この、なんとも言えない虚無感がキミには伝わるかい
    キミを応援してくれている世界中のヒトビトの中にも、もちろん御家族の中にも、キミやワタシ以上の虚無感に苛まれているヒトが、きっとたくさんいるだろうね
    それでも弱音を吐くコトもできぬまま、キミの苦痛に満ちた呼吸音のひとつひとつに耳を澄まし、キミに元気を分け与えようとしてくれているヒトがたくさんいるんじゃないかな
    ↓へつづきます

  3. ↑のつづきです
    キミの辛さをワタシやそのヒトたちが肩代わりしてあげるコトは決してできないケド、キミはまだ幸せな状況下で弱音を吐き出しているんだってコトにはちゃんと気づいてほしいょ
    キミには身近に御家族があり、世界中にはキミのフォロワーが無数にいるじゃないか…
    身近にも仮想世界にも、キミにはたくさんの援助者がいるんだってコトを忘れちゃダメだょ
    キミは今ある状況のままで、誰かと睦みあうコトも、誰かを育むコトも、誰かと語り合うコトも、誰かと援け合うコトもできるんだ
    ソレってすごく幸福なコトなんだょ
    だからキミには、その辛さをいつか乗り越えた時、その歌に込められた想いを、ドコかの誰かに届けて欲しかったんだ
    今とは言わないケド、いつかきっと、強くなっておくれょ、なな… そしてワタシに弱音を吐いてきた数名のヒトビト…
    そうゆう、叱咤も込めた記事だったんだょ
    そうゆう、ワタシ自身の「泣き言」みたいな記事だったんだょ
    分かってくれるかい

  4. ↑の追伸です
    レスは無用だょ
    キミの誤解を解いてからコトバを打ち切っておかないと、ちゃんとキミに想いが届かないもんね
    レスをくれるとすれば、ワタシではないドコかの誰かに、胸いっぱいの想いをこめた至純のラブレターを届けておくれょ
    応援してるぜ、なな
    じゃぁ、元気でね

  5. ビバメヒコン川 より:

     最近の内容は、なにか事前に知っておくべき何かを知り忘れたかのような、不思議な言葉の紬になっているなぁ。バック・トゥ・ザ・ヒューチャーの第1部を見ないまま、第2部を見てるような気分。
     確かに、人より秀でた何かというのは、小さな宇宙でしか通用しないもんだ。分別ある人間は、常に恐怖を抱きながら、その秀でた部分を保守しようとしてる。その恐怖心がないと、人は駄目になるな。
     

  6. とも より:

    ごめんなさい
    そうよね わかってたのに、、

  7. 漂流者 より:

    ロビンさん
    申し訳ないけど、私にはこれはあなたの八つ当たりにしか見えない。見解の相違かもしれないが、この書き方であの娘の心を救えるとは到底思えない。ただ彼女の心を残酷に切り刻むだけ。
    人は正論では動かない。正論は正しいようでいて、正しくない。それは人として向き合っているとは言い難いから。正論とは上から目線。すなわち、この記事ではあなたは彼女をみくだし、傲慢に指示しているだけ。
    だから逆効果。強すぎる言葉、たとえそれが真実でも、いいえ、真実だからこそ、それは薬ではない。毒薬。人の心を蝕む強毒。たとえばね、金属を溶かす時、強い酸はダメなの。金属のまわりに強固な膜を作るだけ。表面を固く閉ざすだけの結果を生む。溶かすとすればむしろ弱酸。
    ただこれを書いたあなたの心情は理解できる。本当に親切心から出たものであるとは理解できる。惜しむらくはそれが伝わらない。これは、殴り合いの喧嘩をやって、おたがいぼろぼろになって、その時、涙を流しながら静かに独り言のように言う。そういう言葉。素面でいきなり言ってしまったら単なる刃でしかない。恐ろしく人の心を切り裂く兇刃。
     ↓

  8. 続 漂流者 より:

    そももそ私が心配しているのはあなたの方。ずいぶん長い年月がたった。あなた自身の年齢もある。出過ぎた言い方だとは百も承知だが、そろそろ前を向いてもいい時期なのではないか。過ぎた恋に浸るのは甘く心地よい。ただ、それでは前に進めない。
    あなたは消えようとする想いを、あえて捕まえ、そして身の中にたたき込み続けている。それは甘美。そうした生き方もある。けれど、想いを空に解き放ち、前に進む行き方もある。あなたはまだ美しい。よけいなお世話は百も承知。あなたこそ前身すべきではないか。
    ホントは救われないからこそ、赤猪子の物語は美しい。
    願わくば、あなたも、彼女も、幸せになって欲しい。
    出過ぎたまねはしたくなかった。でもあなた流に言えば、これは愛。わたしはそれを表すほど強くない。でも勇気を振り絞って、このボタンを押す。
    願わくば、彼女への想いとともに、あなたへの私の想いも届いて欲しい。

  9. 誤訂正 より:

    前身→前進

  10. >漂流者サマ
    「やつあたり」との御指摘、まことにおみごとです
    記事作成中、なんども「コレは単なるひがみなのではないか…」との自問を繰り返しながら作文していただけに、いただいたコメントはなんとも手痛く、また同時に、ワタシの在りようを正確に客体化し否定してくれる「苦味の強い薬膳」ともなりました
    そうゆうモノを届けていただいたコト、ひとえに感謝です
    また同時に、そうゆう毒味の成分を他者に向けて吐き出さねばならない際の精神的なストレスは、後味の悪さを伴っていつまでもココロの内に残留し続けるモノ… どうかこの後は御自愛くださいますように
    頂戴したコメント… 「危急の状態にある患者を前にした医師は、いかに振舞うべきか…」という論題に対する向き合い方にも似ていて、それゆえに、ワタシの施した処方が全く正しかったのだとは決して思ってはいないと、まず明示しておきます
    また、漂流者サマのおっしゃられる処方が、一体いつまで患者の容態を好転させる上で奏功するのか…という点に関しても、言及するつもりはありません
    どちらの処方も、苦しむ患者が目の前にいて、その患者が信じるに足ると感じた方を処方するコトこそが、「患者にとっての最善」であるとせざるを得ないのですから
    あのとき、ワタシの目の前にはあの娘がいて、そして現実に苦悶していて
    ワタシ以外、他には誰もそれを助けるヒトはいなくて
    それまでにあの娘と過ごしたたくさんの時間の中で、そして、交わし合ったたくさんのコトバ・想いの中で、既にワタシの可能な限りのまごころを、あの娘の苦痛に寄り添うコトに注いでみていて
    だけどあの時にはもはや、それも奏功するコト叶わなくなっていて
    そして、そんな無力なワタシの目の前には、苦悶の表情を浮かべるあの娘が確かに横たわっていて…

  11. だからワタシには、あの娘にとって強毒となるかもしれぬ処方を施さざるを得なかった… とは決して言いません
    それでも寄り添うべきだというのが漂流者サマのスタンスですよね
    御説のようにあの時、更にもっと寄り添うコトであの娘は快方に向かったのかもしれないし、あるいはもっと別の処方もあったのかもしれない
    ただ、「弱って自暴自棄になっている身内を、何も言わず暖かく抱み込むのも身内なら、他人では決してクチにできない『克服すべき致命点』を、あえて指摘し鍛え克服を促すのも身内だ」と、現在でもワタシは強く思っているのです
    たとえば、ワタシを放逐した父・母・弟が、そのように自暴自棄の心境に陥り、自壊すら厭わない心情から抜け出せなくなっていると知れば、たとえ相手に拒まれようとワタシはあの家に赴くでしょうし、物理的強制力すら発動させて、その状況から脱却を図らせようと足掻くコトでしょう
    それがワタシです
    そして、それと同様の処方を施したコトによって、ワタシがあの娘のココロに深いキズを与え、結果として、処方は奏功しなかった
    それが現状です
    「そっとしておいてくれ」とのコトバが、それを明示的に示す信号です
    ワタシがあの娘を身内だと思っていても、あの娘にとってワタシは他人でしかなかった
    それがワタシの施した処方の結果です
    そして、もはや矢尽き刀折れた現段階のワタシには、あの娘の心情を好転させうる処方を、もはや何も持ちません
    いまさら投げ出すのが無責任だと謗りを受けたとしても、患者が退場を望む以上、それに服さざるをえず、そうするコトが、現在のあの娘にしてあげられる最善となり果てました

  12. だから休憩所のコメントでも、漂流者サマにお願いしましたね
    「ワタシが紡いだのよりももっとマシな、優しく労わり深い想いで、あの娘を守ってやってください それだけを貴方に託します あの娘のコト、たのみます」と…
    ようやくその時が来たのです
    患者が望む処方こそが、患者にとっての最良です
    いま、あらためて貴方にお願いします
    あの娘のコトを、どうかよろしく頼みます
    あの娘が本当のしあわせを実感できるようになるコトに、どうか力添えしてあげてください
    心からお頼み申し上げます
    http://www.youtube.com/watch?v=_JHqH6opWps

  13. >ビバ☆メヒコン川さま
    順番が逆になってしまってゴメンなさい
    いぁいぁ、貴方がいま見てるのは「ロッキー・ザ・ファイナル」ですょ
    ちゃんとⅠからⅤまでを通して見たあとに「ファイナル」を見ませうね
    でもでも、「男はつらいよ」シリーズみたいに、ドコから見てもちゃんと見れるのもあるんだょなぁ…
    今後の記事の作成のありかたに関する非常に有用な示唆ともいえそうです
    御指摘まことに感謝でアリマス{%一言・ペコhdeco%}

  14. 是非に 及ばず、、 より:

    あなたと風の吹く岸辺で
    杯を交わしたい 朋として
    春風の元 天竜川の桜も 悪くない

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