ヒトは… 殊に農耕に基づいた生き方を選択したヒトビトは、そうではない生き方をするヒトビトと比べて、明日をより多く怖れる
明日起こるかもしれぬ有為転変を想定せねば、恒常的に農耕を営むコトは決してできないからだ
明日を怖れるココロを、隣近所・子々孫々まで広く伝播拡散させ、集団として明日に備えるコトで、農耕はかろうじて維持されるからだ
農耕に基づいて生きるコトを選択したヒトが、必然的に明日を怖れざるをえないのは、そういういきさつによる
そういったヒトビトの不安は、明日どうなってしまうか判然としないような、流動的価値しか持たぬ動産では払拭するコトができない
その場しのぎの逃避的愉悦や満足は得られても、根本的な不安を払拭するコトはできない
大地が割れ、崩れ、あるいは津波に呑み込まれでもしない限り、けっして価値の揺るがぬモノが求められる
明日の不安を払拭するための、不動の価値を持つ資産… 土地が望まれるのはそのためだ
開墾をすると永年にわたる私有を認められる… 墾田永年私財法の発布によって、開墾への意欲はふたたび賦活化された
自らの血と汗によって切り拓いた土地と、ソコから得られる生産物が、不当に搾取されたり奪われたりする不安を払拭するためには、その私有が普遍的に保障されねばならなかったからだ
しかしながら、私有を認められた土地… 荘園は、私財法発布当初、課税の対象となるモノだった
現代においても不動産には固定資産税がかかるのと同様に、この当時、耕作地からアガってくる収穫の何割かを御上に納めねばならなかった
そういった収益吸い上げの仕組みに対して、現代においても節税対策があるように、当時の荘園地主たちも同様の工夫をした
まず、徴税を直接執行する役目の国司(現代における都道府県知事みたいなモノ)と懇ろになるコトを始めた
国司は、税額を算定するために墾田の面積を測る役も担っていたが、その際、懇ろになったよしみで面積を低く見積もってもらえばよい
そうするコトで税額を低く抑えたり、極端な場合、「新規に拓いた墾田はない」と目をつぶってもらうコトで、完全に免れたりする工夫をした
しかし、せっかくそのようにして懇ろになった国司には、一定の在任期間というものがあった
年限が過ぎてしまえば、また中央から新しい国司が任ぜられて出向してくる
そのたびごとに国司を籠絡していては大変効率が悪かった
この不都合を解消するために、もう一工夫する必要が生まれた
そしてすぐに、「国司よりも更に強い存在にすがれば良いのだ」という、至極単純なコトに気が付いた
国司を中央から派遣する権限をもっているのは、太政官とよばれる権勢門閥の貴族だった
コレと懇ろになった方がむしろ高効率だと気付いたのだ
そういった門閥貴族と懇ろになるコトで、開墾地主たちはふたつの特別な計らいを得るコトに成功した… その、特別な計らいのひとつを不入の権という
不入の権とは「国司が荘園へ立ち入ったり干渉するのを拒否する権利」のコトだ
国司が荘園に立ち入るコトを拒む権利を手にするコトで、墾田の面積を査定させないというのが最大の目的だが、それと同時に、司法権・警察権の介入を拒むコトも手に出来た
この点、国土の内に、狭いながらも一種の治外法権特区が成立したと考えて良い
コレをされると、国司は開発領主からアガってくる利権を啜れない
中間搾取ができなくなるのだ
一方の開発領主にとっては、賄賂に余計なマージンを乗せなくても済むため、コレは非常に好都合なコトだった
さらにもうひとつ得た特別な計らいを不輸の権という
この当時、太政官の任にあった権勢貴族は一定の領地を所有していたが、それらの土地はすべて非課税だった
アタマの良い開発領主は、やっとの想いで開墾して私有を認められた荘園を、これらの権勢貴族に寄進してしまえば良いコトに気付いたのだ
荘園の名義は貴族のモノとなるが、開発した墾田は非課税扱いとなる
寄進した土地の名義が貴族のモノとなったところで、貴族自身がわざわざ地方まで出向いて荘園の経営に直接の手を下すわけではない
そのような、いわば現場の汚れ仕事を太政官が直接行ったりはしないのだ
開発領主から上納される賂を取れれば、それだけで充分に懐が潤うからだ
律令制の普及によって成立した官僚体制というモノの在りようは、左様にしてこの当時から現代まで一向に変らない
普遍的とも言える「利益誘導と寄生のシステム」だと言える
ともあれ、こうするコトで名義こそ貴族のモノとなるものの、荘園の実質的な経営と管理は依然として開発領主が握ったままでいられる
このような、一種ウラ技的な工夫を施すコトによって、開発領主たちは「租税免除の権利… 不輸の権」という、まことに直接的な優遇措置を手に入れるコトに成功する
不輸・不入の権が濫発されるようになるにつれて、末端官僚である国司と、開発領主との溝は次第に深まっていった
この構図は、一見すると「過酷な重税に喘ぐ開発領主とそれに寄生する国司・太政官」といった単純な図式に受け取られやすい
しかしココで述べたいのは、左様な善悪二元論ではない
1.明日への不安を払拭するために土地の私有が望まれたコト
2.私有によって得られえる収益を守るため、アコギなまでの工夫がなされたコト
3.開発領主への利益誘導のために、上級官僚への接近・癒着が始まったコト
この3点を述べるコトによって、その根源を批判するのが主題だ
実際、この当時の国司の大多数は法令に基づいた課税を行っていて、税額を私的に操作して特定の開発領主に優遇を図っていたのはごく一部の者だった
むしろ、開発領主側のえげつないまでの私益主張と、その実現のために実行された工夫の醜さをこそ、ココでは批判の対象としたい
土地などに拘泥するから、かようなザマに陥るのだ
隷属民を多数抱え、莫大な富を蓄積し、農業をはじめとする諸産業を大規模に経営し始めた開発領主は、やがてその必然として「富の防衛」を名目とした武装を開始する
蓄財を守り、河川の水利権を死守し、己の切り拓いた土地を近隣の荘園の連中から守るために、それは必然だった
この国に、武士と呼ばれるヒトビトが生まれるのは、そういった経緯からだった
コメント
所有欲の最たるものが、土地なのだろうね。不動だから。東西問わず、それはそうなんだろうな。風と友に去りぬも、ラストシーンはアイリッシュにはまだ土地があるって話だったような記憶が。万里の長城も、土地を守ってるね。
所有欲を捨てるのは、仏教の究極でしょう。あなたはいつの間に、宗教者になってしまったのか??
マルクスが言っていた様に、国なんてものがるから、衝突が起こり、戦争が起こるのです。その根源は土地です。国がなければ戦争はないので、殺し合いもなくなります。そういう意味で、君のこの作文は興味深く読ませてもらってるよ。