ある家族の肖像

朝早くから爆竹の炸裂音が上空で鳴り響き、それで目を覚まされた

一区画むこうにある小学校の校庭で、地区主催の運動会が行われるのだ

この爆竹音がムダに野太いシロモノで、おかげで浅い眠りを強制的に妨げられるし、競技のインターバルごとに打ち上げられるモノだから、今日はいちにち妙に不愉快な気分だった

「何をそんなに嬉しそうにはしゃいで、自身の開催を誇示してるのだ…」

元来がインドア派で、肉体を用いた作業を卑賤視していたイヤミなお子サマだったから、鼻ったらしの頃からこの音が鳴り響くたびにいつもそう思う

だいたい、肉体の操作に巧みな(だけの)連中というのは、それを誇示するコトだけでいともかんたんに有頂天になれるという、「恥じらい」とか「奥ゆかしさ」といった美意識に欠けるている点で、まったくもって鼻持ちならない連中なのだ

そういう「バカ」を更にますます増長させるだけの場と機会を、わざわざ与えてやるという愚行を、学校だの地域だのが率先して行っているというのも、腹立たしさに華をそえてくれる

というか、きっとみんな、そういう「バカ」がだいすきなのだ

だからわざわざ、バカに場を与えてやって、それを肴にして「おまつり」するのだろう

バカもバカで、バカなものだから、かけっこが速いだのチカラが強いだのという、たかだか「肉体の機能のひとつ」に過ぎない要素を誇示できるだけで嬉々とした表情を見せるというのは、ホントに教育上よろしからざる行事である

ずいぶんと長いコト学校という組織で勤務もしたが、「オレは、単に『かけっこが速かった』というただそれだけで、こんなに恍惚とした表情などしていて良いものであろうか…」などと自問する一等賞野郎を、ワタシはついぞ見たコトがない

同時に、この一等賞野郎どもというのは、自らが一等賞を獲得するために蹴落としてきた敗残者たちの、その胸に立ち込める「無力感」に対して極めて鈍感、あるいは場合によっては増上慢ですらあって、それがために「バカがますますバカなまま増長するだけ」という土壌を醸成する… それが運動会だ

そんな怨念もあって、あの爆竹音というヤツは、空に鳴り響くだけで充分に不愉快きわまりないシロモノなのだ

とまぁ、これだけ悪口を並べた後では何を書いてもあまり救いはないのだが、それでもちゃんと本題も書いておかないと、ホントに「ただの恨み言」になってしまうので、ついでながら本題をば…

上に並べ立てた様に、ワタシにはかの行事にまつわる喜ばしい記憶というのがほぼ皆無だ

ただ、ひとつ鮮明に覚えているコトがある

それは弟の通う保育園で行われた運動会での記憶だ

親子ふたりが、ひとつのズタ袋に脚をつっこみ、二人が息を合わせてぴょんぴょん飛び跳ねてゴールを目指すという種目で、「カンガルーの親子」とかそんな演題の競争だった

ウチの父親がまだ精気に溢れ、ドワーフファイターみたいだった頃のコトで、その父親が弟と一緒にその袋に両脚をつっこんで、ぴょんぴょんと飛び跳ねる映像がずっと脳裏から離れない

演目を企画した保育園側は、きっと「ドコとなく滑稽で微笑ましい親子の姿」というヤツを目論んだのだろう
確かに滑稽ではあった

うまくバランスが取れずに派手にコケる親子もいたし、ふたりの呼吸がうまく合わず、一向に前に進めない親子もいたのだから

それを観覧している多くの家族たちからは、声援とも嬌声とも哄笑ともつかない声が、そこかしこから沸き起こっていたものだった

そういう性質の競争だったから、実走する側にとってはさほどのプレッシャーを感じる必要もない競争だったのだ

だからどの親も、随分とテキトーな姿勢で、半ば照れくさそうに、その責務を果たしていたように記憶している
それでも充分に、企画者側の目論みには合致し、親も役割を全うでき、コドモも「楽しかった運動会」を想い出に留めるコトができるのだ

客観性に乏しい「身内に関わる記憶である」という点をさっぴいたとしても、そういう、半ばふざけたような競争が繰り広げられた中で、あのふたりの姿は非常に異質な… 一種異様なモノだったと、ワタシはそのことをココに述懐する

距離にしておよそ50mほどだったろうか

ソコを、ひとつのズタ袋に半身を突っ込んだ親子が、鬼気迫る相貌で前進のための跳躍を繰り返していた

ふたりの呼吸が合わずに数度転んだが、父親はそのたびごとにコドモを腕にしっかりと抱え、ワザと仰向けに転んだ

コドモをかばって転ぶたび、擦りむいた腕や額のキズから血が流れ、父親の衣服は砂礫と血液で汚れた

そういう親子の姿に観覧する保護者や来賓どもは一瞬声を失くしたかのようで、ゴールするまでの短い間ではあったが、水を打ったかのような静けさが辺りを包んだ

そして、親子は一等賞でゴールした

嬉しそうな顔の弟を肩車して、父親は我々家族の方に向かって戻って来る

その親子に対して、近寄りがたい「何らかのモノ」を感じたかのように自然と人垣が割れて道ができ、親子はその道をゆっくり、悠然と進んだ

肩車された高見からソレらを見下ろし、弟は不思議そうな、嬉しそうな表情をしていた

ようやく我々の元に辿り着いて弟を肩から下ろすと、父と弟は母の用意してきた弁当をうまそうに食べた

母とワタシも同様に食べた

せっかく一等賞をとったというのに、四人は意外にコトバも少なく、握り飯や卵焼きやウィンナーを食べ、冷たくひやした麦茶を飲んだ

そんな映像が、今でも鮮明に、ワタシの側頭葉の深層に焼きつき、今も消えぬままに残っている

陽が傾き、四畳半二間の借家に家族そろって帰宅して、ワタシと弟は父と風呂に入った

湯船に浸かったワタシたちの前で、父は先刻できた擦り傷をコトも無げにこすって洗い、さも強がって見せた

普段なら、少し引いたトコロから冷めた目でそうゆう様を見るワタシだが、その時だけはこの父親を認めてやって良いと思いながら、父のしざまをじっと見ていた

風呂からでて夕餉を囲み、家族でおかずをつついている時、少し酒が入って良いカンジに酔いが回ってきた頃合で父親がクチを開いた

「この子は、これから先ずっと、ああいう競争では他人の背中を見ながら生きていかねばならないだろう だからオレは、死に物狂いで一等賞を目指して飛び跳ねた 他の親がふざけ半分でやっていようが無様だろうが、そんなコトは問題じゃなかった 一生の中で一度で良いから、一等賞とはどういうモノなのか、この子に味あわせてやりたかった」

その時、ワタシは恥ずかしげもなく泣いた

弟も泣いた

母も泣いていたと思う

あの時、ワタシたち四人は、確かに「家族」だった

2011年、秋の夜も静かに更けた今、密やかな自負を持ってそう確信する

<さだまさし:親父の一番長い日>

追記

そして、冒頭でさんざんコケにしてやった「おめでたいバカども」に対して改めてケンカを売ってやるが、一等賞というのは、そのようにしてひたむきに求めるモノだ

てめぇのチカラを誇示するためだけに求めるような、そんなシミったれたもんじゃぁない

家族を脱ぎ捨てた今もなお、ワタシはかたくなな程にそう確信している

あぁ、コレ書かなきゃ良いカンジで〆だったのになぁ…w

コメント

  1. ビバ☆メヒコ より:

     久し振りに心が洗われる話を読んだ。意図に沿うものではないかも知れないが。

  2. >ビバ☆メヒコさま
    書いた本人が言うのも何なんですケド、この記事の本意とはいったい何なのでしょうね
    運動会とか、そうゆうモノに対する毒なのか
    かつての父と、家族にまつわる何事か、なのか
    その両方なのか、あるいは、そのどちらでもないのか
    以前、1stブログ「みるくはうす」において「頑迷不霊」に関する記事を書いたコトがありました
    今回の記事は、ある意味でアレの焼き直しなのではないかなぁと思っています
    あの記事においては、自分の父親というヤツに対する「愛憎」のうち、特に「憎」の方を基調にして記述しました
    今回の記事においては、「愛」の方を主軸に置いて記述したカタチになっていると言えそうです
    ただ、単なる「愛」だけで記述しないのが、ヘソ曲がりのワタシらしいトコロw
    熱心な愛読者は(失笑)、この記事のマクラの部分で毒づかれている「バカ」と、みるくはうすの「頑迷不霊」の記事で毒づかれている「バカ」とが、二重写しになってるのを読み取れるコトと思います
    すなわち、両方の記事における共通項である「バカ」とは、ワタシの父親のコトであるってトコが、この記事の本当の「アンコ」なんじゃないかな(おぉ!? 連立方程式みたいw)
    そうゆう視点から再読してみて、あらためて「ココロ洗われる」ような感動的なおはなしか、と問われれば決してそうではないですょねw
    表面上、「なんとなく美しげなおはなし」の体裁をとってはいますケド、そのようにだけ読まれるコトが「筆者の『本当の』意図に沿う」かと言うと、ソレだけではないワケでありして、その辺の「深いトコ」まで読み取っていただけたとしたら、書いた方としてはなかなかに光栄なコトであります

  3. ビバ☆メヒコ より:

     「息子に、かけっこというジャンルでは、生涯最初で最後になるかも知れない一等賞を取らせた父親の姿」は、著者の意図に反して?普遍的なものなんだな。
    そういう気持ちって、父親にはありがちなんだけど(私もそう)、なかなか具体化するのは難しい。それを見事に描ききった点で、この作品は(後半)は、名作と言いたい。
    ただ・・・・
    子供って、父親にとって、分身なわけです。だから、自分の意に反したことをすると「お前は俺の息子じゃない」ってことになりがち。母親はどんな息子でも受け入れるが、父親はそうじゃないことが多いよね。
    私自身、子供の頃の悔しい体験(おもちゃを買ってもらえない・自転車は親戚のお古・父親にねだれない)を、わが息子にさせないようにしてしまう過保護親と化してるんだが、それは自分の人生への復讐でもある。
    この作品は、ひょっとして、父親自身が一等賞を取ったことがなかったのではないのか、という読みさえ可能な話。走っている時の、父親の「クソッ!」という呻き声まで聞こえてきそうな気がする。
    なんちゅう読みをすると、全く意に反するのかもしれないが(失禁)

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